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真恵
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真恵(しんえ/しんね)は、南北朝時代の明法家(法学者)。俗姓は中原氏。兄の是円と共に『建武式目』の制定に関わった。
略歴
父の中原章継[1]は、中原氏のうち明法道を家学とする系統で、章直流に属す[2]。長兄の中原章任[1]は、法学書『金玉掌中抄』を著した法学者[3]。
後醍醐天皇が建武の新政(1333–1336年)を開始すると、建武 (日本)元年(1334年)8月に雑訴決断所が8番制に再編された際、その5番に務めた[1]。次兄の是円も2番に属している[1]。建武3年11月7日(1336年12月10日)、兄の是円と共に室町幕府の基本法『建武式目』を足利尊氏に勘申した[1][4]。
貞和3年5月16日(1347年6月25日)に数え69歳で没[1][5]。一方、貞和2年(1346年)に数え65歳で没という説もある[6]。
脚注
参考文献
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