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真田氏館
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真田氏館(さなだしやかた)は、長野県上田市にあった日本の城(平城)もしくは居館。
概要
真田氏が根小屋として日頃政務を執り、生活をしていたと考えられる館跡[1]。いつ頃築城されたかは定かでなく、天正年間に真田信綱が築城したとされているが、それ以前の永禄年間に真田幸綱が築城し、すでに居館としていたともいわれている[2][3][4]。天正2年(1574年)長篠の戦いで信綱が戦死すると、信綱の正室であった御北が信綱を忍んで松を植えたとされ、現在も御北の松として残っている[5]。その後、天正11年(1583年)、上田城の築城が始まり、完成に伴い廃されたと考えられる[6][7]。また、上田城に移転する際、真田昌幸はこの地と館がすたれないよう東曲輪のあった場所に皇大神社を勧請した[8]。その後、昭和42年(1962年)長野県指定文化財となり、御屋敷公園として整備された。毎年5月~6月には約600株のやまつつじの花が咲き誇り、花の名所としても知られる[9]。また、真田氏歴史館や休憩所の真田庵が隣接している[10][11]。平成2年(1990年)から3年かけて発掘調査が行われた[12]。
真田氏館はいわゆる方形居館と呼ばれる形で、敷地を方形に区切り、2〜4mの土塁で囲ったものであった[13]。さらに、北側を流れる大沢川が天然の堀となっている。東・西・南の側面にも、堀を設けていたと推定されているが、地形の変形が進んでおり、確認はできていない[14][15]。北西の隅には四角く囲まれた土塁が残っており、厩屋として使われたとされる。南側に大手門・南東に東門が、北側に搦手門が位置した。土塁の内側には現在東曲輪と西曲輪と呼ばれる二段の曲輪が存在した。現在、石積のある虎口、土塁、空堀などが現存している。
- 土塁跡
- 真田氏歴史館
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真田氏館の支城群
脚注
関連項目
外部リンク
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