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矢作城

千葉県香取市にあった日本の城 ウィキペディアから

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矢作城(やはぎじょう)、または大崎城(おおさきじょう)は、千葉県香取市大崎にあった日本の城。「大崎城跡」として香取市指定史跡[1]

概要 logo矢作城 (千葉県), 別名 ...

概要

矢作城は大崎城とも呼ばれ、城址は香取市大崎字城内を中心としている。本矢作城主第4代の国分胤長の第二子・泰胤が城替えして拠ったもので、旧城には一族の行常が残った。

大崎の地はもともと、足利家氏の次男である斯波宗家の領有した大崎庄であったが、斯波氏がここを離れ、奥州を本拠とするようになったので、国分泰胤はその後を受けて領主となった。矢作城は、本矢作城に比べかなり大きく、さらに要害で、耕地が開けて佐原にも近く、交通至便である。本矢作城から移ったのは、14世紀の初め頃と言われる[2]

戦国末期になると、他の千葉氏の城と同じく北条氏の配下に属したが、何度か里見氏の属将正木氏に攻められている。これにより、永禄8年(1565年)に一度落城したとの説がある。その後、正木氏は小見川を捨てて上総に引き上げたので、国分氏は再び城地を回復したが、天正14年(1586年)に再び正木軍の攻撃を受けて落城した。

天正18年(1590年)、矢作城は豊臣秀吉下の徳川家康の軍勢により開城させられた。このとき、国分氏は常陸鹿島惣大行事のもとへ逃れて庇護を受け、のちに水戸家の食客となった[3]

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構造

矢作城は、「城の内」と「外城」に分けられる。

城の内は、本妙寺の横から与倉を通って国道51号線に抜ける道路の北側にあり、本丸跡と妙見社が祀られた跡がある。外城は、本妙寺の南で、白旗神社のあたりまで多くの空堀があったという。大手門はこの南にあったと推定される[4]

アクセス

脚注

参考文献

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