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石井収
日本の武士、警察官、地方官吏 ウィキペディアから
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石井 収(いしい おさむ、弘化3年(1846年) - 大正14年(1925年)10月10日)は、日本の武士、警察官、地方官吏である。会津藩士として戊辰戦争を、また西南戦争を戦った。田山花袋は義弟。旧姓生亀、雅号盤石[1]。
生涯
- 経歴
会津藩士の生亀家に生まれる。父は可汲。戊辰戦争では佐川官兵衛麾下として北越戦争を戦い、重傷を受け若松へ後送されている。明治5年(1872年)に警察官となり、少警部に昇進。また明治10年(1877年)には陸軍歩兵中尉に任官した[2]。西南戦争に出征し、再び負傷している[3]。警察官としては五等警視[4][* 1] に昇り、淀橋警察署、富岡門前警察署、本郷警察署でそれぞれ署長を務めた。明治19年(1886年)から明治25年(1892年)まで東白川郡郡長を務めて退官した。会津会会員、編纂書に『風月無尽』がある。
- 田山花袋
石井の妻は旧館林藩士田山氏の長女いつ[2]。いつの父は警察官として西南戦争で戦死している[5]。この田山家の次男がのちの田山花袋であった。石井は東白川郡長時代に花袋を招き、見合いの仲介をしているが、この縁談は実現していない。石井の父である可汲[* 2] は、『東白川郡沿革私考』を著し、花袋が序文を寄せている。花袋は棚倉を舞台に『小桃源』(画像417枚目から)などの作品を著した。花袋の作品に登場する姪の愛子は石井の娘である[2]。
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脚注
参考文献
外部リンク
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