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石井常造

日本の陸軍軍人 ウィキペディアから

石井常造
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石井 常造(いしい つねぞう、1875年(明治8年)1月2日 - 没年不詳)は、日本の陸軍軍人生気研究者基隆要塞司令官を務めた陸軍少将で、また生気自強療法を唱え生気の医療への応用を図った。従四位勳三等功四級[1]

概要 石井 常造, 生誕 ...

生涯

陸軍軍人

福島県若松市に生まれる。福島県士族石井七四郎の長男。陸軍士官学校7期を卒業し、1897年(明治30年)砲兵少尉任官。陸軍大学校在校中に日露戦争開戦を迎え、第2師団砲兵隊に属し出征。遼陽会戦沙河会戦黒溝台会戦奉天会戦と歴戦した。戦後陸大18期を卒業。

陸軍砲工学校教官、対馬警備隊参謀参謀本部部員、第17師団参謀長[1]を経て、1921年大正10年)7月、少将へ昇進。同日野戦砲兵第3旅団長に補される。次いで黒河内信次少将の後任として基隆要塞司令官に就任。1923年(大正13年)予備役編入となる。稚松会評議員[2]

生気研究

石井の唱えた『生気自強療法』は身体の神経を動かし運動を起こすことで生気を発生させ、疲労回復、病気治療に効果をもたらすというものであった[3]麹町に療養所を開設し、また生気に関する著作を刊行している。

栄典

位階
勲章等

著書

脚注

参考文献

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