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石川流宣

江戸時代初期の浮世絵師 ウィキペディアから

石川流宣
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石川 流宣(いしかわ とものぶ、生没年不詳[1])とは、江戸時代浮世絵師

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『大和耕作絵抄』(部分) 大名行列先頭の中間

来歴

師系不明。作は菱川師宣または杉村治兵衛の画風とされている。姓は石川、名は俊之。俗称伊左衛門。画俳軒、河末軒流舟と号す。戯作名は踊鶯軒。『江戸図鑑綱目 乾』(元禄2年〈1689年〉刊行)の「浮世絵師」の項に「浅草 石川伊左衛門俊之」としてその名が見え、浅草に住んでいたことが知られる。作画期は貞享から正徳の頃にかけてで、元禄期の主要な絵師の一人といわれている。作は主に好色本、地誌など版本の挿絵を描き、戯作も執筆する。一枚絵はあまりないが、『増訂浮世絵』によれば流宣の一枚絵で「元禄頃と思はれる単純素朴な傘をさした版画」があるという。

また日本図、世界図、江戸図の木版地図の作画を手がけており、それらは「流宣図(りゅうせんず)」と呼ばれている。特に、芸術性と実用性とを備えた日本図は長久保赤水が登場するまで流行し、『日本海山潮陸図』は安永七年(1778年)まで、約90年、再版された[2]

作品

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脚注

参考文献

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