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神奈川県道507号相武台相模原線

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神奈川県道507号相武台相模原線map
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神奈川県道507号相武台相模原線(かながわけんどう507ごう そうぶだいさがみはらせん)は、神奈川県座間市から相模原市に至る一般県道である。

概要 一般県道, 起点 ...
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相武台団地入口交差点から見た神奈川県道507号線。手前を横切るのは県道51号線
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相武台団地付近は防音壁に囲まれ、途中にバス停も設置されている
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星が丘交差点(終点)。右奥が起点方面。

概要

全長のうち座間市域はわずか105mしかなく[1]、ほぼ全てが相模原市域に含まれる。戦時中には相模原市新磯野・麻溝台地区の大部分は軍用地として射撃練習場が設置されていた。この道路のうち、座間市側は県道50号の延長上にあり、相模原市側は相模原市街地と直結しているため、地域の東西交通や相模原市における南北の幹線道路としての役割を担っており、交通量も多い。起点から約1kmは相武台団地を貫く形になっているが、ここの部分が出来たのは1980年代後半である。それまでは車の通れない長い空き地になっていた。これは騒音のために団地の中を貫くことを反対する団地側と、道路を貫き県道51号と接続させたい県側で長い間協議がおこなわれていたことによる。防音壁を作るということでお互いの妥協点に達し、現在の形になったといわれている。旧相模原市域では、町田街道も含め東から数えて5本目(町田街道、旧16号、国道16号、木もれ日通り(中央大通り)・大沼街道、村富線、旧大山道、国道129号、県道48号)であり、ちょうど市域の真ん中を南北に貫いている。

特に座間市側の延長上である県道50号は、県道56号国道16号旧道)との接続や大和市中央林間南林間地区における唯一の県道であるため、他方からの交通流入が激しいのに対して、始点・相武台団地交差点から県道52号と交差する相模原公園入口交差点までは片側1車線、同交差点から終点・星が丘交差点までは片側2車線となっているため、片側1車線区間は特に混雑が激しい。また、星が丘交差点以北の延長上の道も含めると、相模原市富士見にて国道16号と、同市矢部にて旧国道16号とぶつかるため、国道16号の迂回路線として使用される事も多い。片側2車線の区間では道路沿いに飲食店やスーパーマーケットなどが多数存在するが、南区に入り片側1車線区間になるとそのような店はほぼなくなっていく。

また、周辺には規模の大きな公園や大学、病院が多く立地しているため文教色が強い。

地元では星が丘以北の延長上の道の終点に村富神社があるため村富線と呼称されている[2]

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難儀した村富線

要約
視点

出典元:『三十周年誌・相武台歴史同好会 発行者:相武台歴史同好会 平成22年12月発行』p26※原文ママ

『村富線は相模原市中心部と南部を繋ぐ初めての道路です。相模原台地の東、鳩川筋と西、鳩川沿いには街道がありましたが人家のない台地上には東西を結ぶ道はあっても南北を繋ぐ道はありませんでした。県と市は南北を縦断する重要道路として昭和31年9月24日村富相武台線を都市計画道路として決定、告知しました。昭和33年8月1日首都圏整備法による市街地開発地区第1号に指定されました。 一方道路の方はその後地元説明会、物件調査、用地買収等を経てようやく昭和44年工事施工となりましたがそれ以前の昭和42年1月より入居していた相武台団地住民は団地の真中に1日に何万台も車が通る道路が出来ると初めて聞いて驚きました。当然大反対です。交渉は10年の長期にわたりました。4車線を2車線に変更し、遮音壁を設置し、歩道橋を架け、広場を整備する等で昭和56年5月合意しました。その間付近の住民より団地のエゴだと非難もありました。昭和60年3月24日供用開始しました。今では主要幹線道路として活用されています。』

村富線年表

  • 1956年(昭和31年)9月24日 - 「村富相武台線」都市計画街路(幅員11m・2車線)として決定・告示[3]
  • 1958年(昭和33年)8月1日 - 相模原市、首都圏整備法に基づく市街地開発区第一号に指定される[4]
  • 1961年(昭和36年)月日不詳 - 新磯野にて神奈川県住宅供給公社による相武台団地建設用地買収始まる[5][注釈 1]
  • 1962年(昭和37年)1月 - 相武台団地用地取得[6]
  • 1964年(昭和39年)7月 - 相武台団地建設着工[7]。 
  • 1965年(昭和40年)9月3日 - 都市計画街路「村富相武台線」と団地造成との関連を住宅公社と相模原市と協議(ルートの変更、幅員を11m2車線から18m4車線に変更、街路は団地と出来うる限り平面交差を少くする、美観上からグリーンベルト及び植樹を行う。)[8]
  • 1966年(昭和41年)11月30日 - 都市計画街路「村富相武台線」団地内部を協議通り造成[9]。都市計画街路を除く団地内街路と行幸道路行政道路が接続。
  • 1966年(昭和41年)12月15日 - 都市計画街路「村富相武台線」計画変更(1965年9月の協議通りに変更)[10]
  • 1967年(昭和42年)1月17日 - 団地竣工(分譲第1次)[11][12]
  • 1968年(昭和43年)3月30日 - 都市計画街路「村富相武台線」(団地内)事業決定[13]
  • 1968年(昭和43年)3月31日 - 都市計画街路「村富相武台線」(団地内南側)舗装新設160m、配水管工430m敷設[14]
  • 1968年(昭和43年)9月20日 - 相武台団地自治会、「相武台団地内道路村富相武台線の一部設計変更の請願」を行う。昭和43年9月20日受理[15]
  • 1968年(昭和43年)9月24日 - 相武台団地自治会、「相武台団地内道路の設計変更についての請願」を行う。昭和43年9月25日受理[16]
  • 1968年(昭和43年)12月12日 - 上記二件請願「不採択」[17]
  • 1969年(昭和44年)月日不詳 - 村富相武台線団地内4車線で着工。1967年1月より入居していた団地住民が大規模なバイパス反対運動起こす。工事途中中断[18]
  • 1970年(昭和45年)9月11日 - 相武台団地自治会、「相武台団地内道路の路線変更についての請願」を行う。昭和45年9月14日受理[注釈 2][19]
  • 1971年(昭和46年)3月8日 - 上記請願不採択[20]
  • 1971年(昭和46年)9月17日 - 「相武台団地の交通公害についての請願」を行う。昭和46年9月17日受付・受理[21]
  • 1971年(昭和46年)12月7日 - 上記請願「採択」[22]
  • 1976年(昭和51年)3月30日 - 工事中断中の「村富相武台線」、神奈川県道507号相武台相模原線と認定される。神奈川県告示第247号・248号・整理番号139。
  • 1981年(昭和56年)5月 - 所轄官庁と住民が合意[注釈 3]
  • 1985年(昭和60年)3月26日 - 村富線全面開通[24][25]
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路線データ

別名・通称名

  • 村富線
  • 村富・相武台線

路線バス

  • 神奈川中央交通
    • 淵34系統:光が丘三丁目 - 光が丘一丁目(淵野辺駅南口→上溝団地循環→淵野辺駅南口)
    • 淵34系統:光が丘三丁目 - 光が丘一丁目(淵野辺駅南口→上溝団地→光が丘一丁目)
    • 淵35系統:光が丘一丁目 - 光が丘三丁目(淵野辺駅南口→上溝団地循環→淵野辺駅南口) 淵34の逆回り
    • 相21系統:光が丘一丁目 - 麻溝車庫(相模原駅南口 - 北里大学病院北里大学 - 麻溝台 - 小田急相模原駅
    • 相25系統:光が丘一丁目 - 麻溝車庫(相模原駅南口 - 北里大学病院・北里大学 - 大沼 - 相模大野駅北口)
    • 相27系統:光が丘一丁目 - 麻溝車庫・友愛病院入口 - 団地北(相模原駅南口 - 北里大学病院・北里大学 - 相武台前駅
    • 相28系統:光が丘一丁目 - 麻溝車庫(相模原駅南口 - 麻溝車庫)
    • 相29系統:光が丘一丁目 - 麻溝車庫(相模原駅南口 - 北里大学病院・北里大学)
    • 大25系統:光が丘一丁目 - 麻溝車庫(光が丘一丁目→北里大学病院・北里大学→大沼→相模大野駅北口)
    • 大55系統:麻溝車庫(相模大野駅北口→麻溝台→北里大学病院・北里大学→麻溝車庫)※深夜のみ
    • 大60系統:総合体育館前(相模大野駅北口 - 麻溝台 - 女子美術大学
    • 大68系統:麻溝車庫(相模大野駅北口 - 大沼 - 北里大学病院・北里大学 - 麻溝車庫)
    • 小14系統:麻溝車庫(小田急相模原駅 - 麻溝台 - 北里大学病院・北里大学 - 麻溝車庫)
    • 台13系統:団地北 - 友愛病院入口(相武台前駅 - 北里大学病院・北里大学)

※沿線に神奈川中央交通の相模原営業所(麻溝車庫)があるため、上記路線の他にも回送による出入庫車両が同路線を多く走行する。光が丘一丁目バス停~麻溝車庫間の相模大野駅方面の左側1車線が朝限定(6:30~8:30)で「バス優先レーン」に設定されている。

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通過する自治体

主な周辺の施設

主な接続路線

参考文献

  • 『相模原市史現代資料編』 発行者:相模原市史編さん室 発行日:平成20年3月25日
  • 『三十周年誌・相武台歴史同好会』 発行者:相武台歴史同好会 平成22年12月発行
  • 『郷土史としての相武台陸軍士官学校』 涌田佑/著 平成18年11月1日発行

脚注

関連項目

外部リンク

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