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神聖ローマ皇帝一覧
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神聖ローマ皇帝一覧(しんせいローマこうていいちらん)では、中世から近代にヨーロッパに存在した神聖ローマ帝国の統治者を、時代順に列挙している。

神聖ローマ皇帝
要約
視点
- 在位年: 帝国の統治者としての在位年。高等学校の教科書や、コンパクトな人名事典などで、皇帝の在位年として掲載しているものである。
- 名前: 後ろに家門名が付記されている場合もある。
- 王位: ローマ王に即位した年。在位中に後継者を王に選出・即位させることもあり、その場合は形式的には王が併存することになる。
- 帝位: 神聖ローマ皇帝として戴冠した年。オットー1世は、在位中に後継者のオットー2世に戴冠をさせて「共同皇帝」としたので在位期間が重複する。
皇帝は常に王を兼ねているため、同名の何世かについては帝位と王位で一致しない場合がある。どちらで数えるかは慣習による。
- カール、ルートヴィヒ、フリードリヒ:皇帝として数える。
- コンラート、ハインリヒ、ルドルフ:ドイツ王(ローマ王、東フランク国王)として数える。
- ロタール3世:王としても皇帝としても2人目のロタールだが3世を自称。2世とも呼ぶ。「3世」の場合、ロタリンギア国王ロタール2世あるいはイタリア王ロターリオ2世を数えている。
カロリング朝
グイード朝
カロリング朝
ボゾ朝
ウンルオッホ朝
リウドルフィング朝(ザクセン朝)
オットー朝は皇帝としてはオットー1世を始まりとする。東フランク王としてはオットー1世の父であるザクセン公ハインリヒ1世が宿敵のコンラート1世王の指名と諸侯の選出で即位して開いた王朝。以後のハインリヒ、コンラートの名を持つ皇帝は彼らを1世として数えられる。ザクセン公出身の王朝としてザクセン朝ともいう。
ザーリアー朝
ザーリアー朝(ザリエル朝)は、フランケンのザーリアー家出身のコンラートが、ザクセン朝の断絶後に国王に選出されたことにより開いた王朝。前述のコンラディン朝と同様にフランケン朝とも呼ばれる。
ズップリンブルク朝(ザクセン朝)
このザクセン朝は、オットー朝とは無関係で、国王に選出されたロタール・フォン・ズップリンブルクがザクセン大公であったことに由来する。彼の家名は記録上、ズップリンブルク家、ズップリンゲンブルク家、ズップリンゲン家の3種がある。
ホーエンシュタウフェン朝
ホーエンシュタウフェン朝(シュタウフェン朝)は、シュヴァーベン大公を世襲してきたシュタウフェン家の王朝である。
ヴェルフェン朝
ヴェルフェン朝は、シュタウフェン家と対抗したヴェルフ家の王朝である。
ホーエンシュタウフェン朝
大空位時代
大空位時代(1254年 - 1273年)は、その名とは違い空位ではなかった。
選挙王制
この時期は国王選挙の度に異なる家門の国王が選出されていた。
ハプスブルク朝
ヴィッテルスバッハ朝
ハプスブルク=ロートリンゲン朝
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戴冠した皇帝
要約
視点
以下は、戴冠をした「皇帝」の一覧である。ただし、マクシミリアン1世以降、ローマ教皇による戴冠を行わないまま、「皇帝」の称号(正確には"Erwählter Römischer Kaiser"「選ばれしローマ皇帝」)を使用するようになった。この場合は、下記の一覧で"ERK"と付記した。
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参考文献
- ハンス・K・シュルツェ著、五十嵐修ほか訳『西欧中世史事典II―皇帝と帝国―』(ミネルヴァ書房、2005年、ISBN 978-4-623-03930-2)
- 菊池良生著『神聖ローマ帝国』(講談社、2003年、ISBN 978-4-06-149673-6)
- 木村靖二編『ドイツ史』(山川出版社、2001年、ISBN 978-4-634-41430-3) - 特に巻末の一覧
関連項目
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