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神藤才一

日本の政治学者 ウィキペディアから

神藤才一
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神藤 才一(かんどう[1] さいいち / しんどう[2] さいいち、安政4年8月15日[3]1857年10月2日) – 昭和9年(1934年1月5日[2])は、日本の衆議院議員立憲政友会猶興会立憲同志会)。大日本帝国陸軍軍人、最終階級は陸軍歩兵大尉

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神藤才一

経歴

相模国高座郡相原村(現在の神奈川県相模原市)出身[4]1879年明治12年)、陸軍士官学校(旧3期)を卒業し、同年12月22日、陸軍歩兵少尉に任官[4][5]1884年(明治17年)に甲申政変に出征し、帰国後は山地元治将軍の幕僚を務めた[4]1886年(明治19年)にフランスに留学して軍事学を学ぶが、やがて法学に転じ、1895年(明治28年)にリヨン大学を卒業し、法学博士の称号を得た[2]

帰国後は無学館専門学校・フランス語学校を設立し、慶應義塾大学早稲田大学明治大学専修大学東京高等商業学校東京外国語学校などで講師を務めた[2]1907年(明治40年)からは東洋殖民学校教頭を務めた[4]

1900年(明治33年)、衆議院議員に補欠当選。以後、合計で4期務めた。

著書

  • 『欧洲列強近世外交秘史』(1907年、明治大学)
  • 東京政治学校講義録 軍政学』(東京政治学校)

脚注

参考文献

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