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福井準造

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福井準造
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福井 準造(ふくい じゅんぞう、明治4年9月21日[1]1871年11月3日) - 昭和12年(1937年12月10日[2])は、日本の衆議院議員立憲政友会)。準三と表記される場合がある[3]

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福井準造

経歴

相模国大住郡小嶺村(現在の神奈川県平塚市)の代々里正・組頭を務めた家で、福井直吉の長男として生まれる[3][4][5]1891年(明治24年)、慶應義塾を卒業[2]。社会問題に関心を持ち、神奈川県農会副会長を務めるかたわら、農商務省の嘱託として神奈川県の工場・職工の調査にあたった[6]。自らは社会主義者ではなかったが、1899年(明治32年)に著した『近世社会主義』は日本で社会主義を解説した最初期の文献である[4]。また、郭沫若は、同書が1913年に中国語に翻訳され、これが中国へのマルクスエンゲルス思想の初めての紹介になったと述べている[7][4]

1908年(明治41年)、第10回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。さらに1912年大正元年)にも補欠当選を果たした。その間、松田正久司法大臣秘書官を務めた。

その後は小林毛皮貿易株式会社取締役、東京米穀商品取引所常務理事、日本輪工株式会社監査役、日本倉庫株式会社取締役などを務めた[5]

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著書

  • 『近世社会主義』(1899年、有斐閣)

親族

脚注

参考文献

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