トップQs
タイムライン
チャット
視点
稲垣長敬
明治時代の貴族、志摩鳥羽藩藩主 (1854-1920) ウィキペディアから
Remove ads
稲垣 長敬(いながき ながひろ)は、志摩鳥羽藩の第8代(最後)の藩主。明治維新後は子爵。鳥羽藩稲垣家12代。
経歴
嘉永7年(1854年)7月12日、第6代藩主稲垣長明の次男として生まれる。明治元年(1868年)、兄で第7代藩主の長行が早世したため、その養子として家督を継いだ。明治2年(1869年)6月の版籍奉還で鳥羽藩知事に任じられ、明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県で藩知事を免官された。学制発布時には「鳥羽聯合小学校」(現・鳥羽市立鳥羽小学校)創設のために出資した[1]。その後、慶應義塾に入り大学部を卒業した[2]。1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[3]。
大正9年(1920年)8月24日に死去した[4]。享年67。
孫に稲垣長賢がいる。
家族
父母
妻
- 本多文子 - 本多忠寛の娘
子女
- 稲垣銑子 - 稲垣長昌夫人
養子
- 稲垣長昌 - 奥平昌服の子
脚注
参考文献
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads