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穆帝 (東晋)
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穆帝(ぼくてい)は、東晋の第5代皇帝。諱は聃(たん)、字は彭子。幼くして即位したため、在位の17年間を太后の褚蒜子が執政し、何充や会稽王司馬昱が補佐した。桓温らの有力軍閥の活躍によりその治世は領土の拡大に特徴づけられる。
生涯
建元元年(343年)、康帝の唯一の男子として生まれた。建元2年(344年)9月、康帝が危篤になると、庾冰や庾翼は会稽王司馬昱を後継に支持したが、康帝は何充に従って穆帝を皇太子に立てた[2]。同月、康帝の崩御に伴い2歳で即位した[3]。
永和2年(346年)、何充が死去してからは、蔡謨や会稽王が補佐した[3]。また、この時期から西府軍を率いる桓温の活躍が始まった。永和3年(347年)、桓温は蜀の成漢征伐に成功して地位を上げた。永和5年(349年)から後趙の内乱に乗じて北府軍を率いる外戚の褚裒や殷浩が北伐を試みたが、不成功に終わる。永和8年(352年)、桓温は太尉になっていたが、荊州に勢力を持つ軍閥として半独立の状態であった[4]。それでも、永和12年(356年)に旧都洛陽を奪回するなど、軍事面において大きな戦果を挙げている[4]。
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宗室
后妃
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登場作品
- テレビドラマ
- 『侠影仙踪』(2004年、演:張植緑)
脚注
伝記資料
関連項目
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