トップQs
タイムライン
チャット
視点

立林文二

ウィキペディアから

Remove ads

立林 文二(たてばやし ふみじ、1904年明治37年)3月20日[1] - 1966年昭和41年)7月10日[2])は、日本の銀行家三和相互銀行社長(現・トマト銀行)。岡山県新見市出身[3]

概要 たてばやし ふみじ 立林 文二, 生誕 ...

経歴

生い立ち

1904年(明治37年)岡山県阿賀郡刑部村(現:新見市)に生まれる。1895年(明治28年)に旧制高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学し、その後、1922年(大正11年)第六高等学校文科甲類へ入学した[4]。1925年(大正14年)、同高校を卒業し、東京帝国大学法学部法律学科へ入学[5]、イギリス法を学び1929年(昭和4年)3月、同大学を卒業した[6]

卒業後

大学卒業後、日本勧業銀行(現・みずほ銀行)へ入行し、大阪支店に配属となり、1935年(昭和10年)には、貸付課の書記に配属となった[7]。その後、名古屋支店次長を経て、山口にある徳山支店長となった。1953年頃(昭和28年)には、日本勧業銀行京橋支店の支店長[8]、その後、京都支店長となるが、1957年に依願退職した[9]。同社での活躍が認められ、退職後すぐに三和相互銀行(現・トマト銀行)の代表取締役(第5代)に就任した[10]1966年昭和41年)7月10日、代表取締役在任中に死去[2]

Remove ads

脚注

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads