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立石春美

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立石 春美(たていし はるみ、明治41年(1908年5月16日 - 平成6年(1994年4月27日)は昭和時代から平成時代のかけての日本画家

略歴

明治41年(1908年)に佐賀県佐賀郡大和町(現・佐賀市)に生まれる。本名は春美(はるよし)[1]。清方の作品に接して画家を志し、昭和2年(1927年)に上京、洋画家の梶原貫五の紹介により清方に入門を願うがかなわず、翌昭和3年(1928年)に深水画塾に入り、伊東深水に師事、日本画を学ぶ。昭和6年(1931年)に第12回帝展に「淑女」を出品、初入選を果たす。以降、帝展や新文展で活躍する。昭和26年(1951年)、朝倉賞を受賞する。その後、日展の委嘱を経て昭和38年(1963年)、日展審査員となった。平成2年(1990年)には日展参与になる。平成6年(1994年)4月27日に静岡県熱海市の病院において脳梗塞により死去。享年85。

鏑木清方、伊東深水に続く美人画の名手として知られた。

作品

脚注

参考文献

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