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竜建章

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竜建章
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竜建章(りゅう けんしょう)は、清末民初の政治家。北京政府の要人。[1]

概要 竜建章, プロフィール ...

事跡

1904年光緒30年)、甲辰科進士となる。公立京師大学堂(北京大学の前身)を卒業した。以後、戸部主事、吏部員外郎、郵伝部郎中、出使各国考察憲政大臣参賛、郵伝部参議を歴任した。

中華民国成立後の1912年民国元年)5月、北京政府の交通部参事となる。翌年、交通部電政司司長となった。その年末には郵伝局局長に任じられている。1914年(民国3年)5月、約法会議議員となる。

同年7月、貴州省黔中道尹に異動する。同年11月、署理貴州巡按使となり、1915年(民国4年)11月、正式に同職に就任した。12月、袁世凱が皇帝に即位すると、竜建章は一等男に封じられ、貴州護軍使劉顕世とともに、袁への支持を表明している。

反袁世凱の護国戦争が勃発すると、竜建章は貴州にあって袁を支持する姿勢を保とうとする。ところが翌年1月に、劉顕世も省内の圧力に耐えかねて反袁の姿勢を明らかにした。これにより孤立した竜は、貴州から逃亡してしまったのである。

1917年(民国6年)6月、竜建章は李経羲内閣で署理交通総長に任じられた。張勲復辟の中断を経て、段祺瑞内閣でも当初は留任したが、7月中に辞任した。

以後、竜建章の行方は不明である。

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参考文献

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