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竹野暢勇
日本の競輪選手 (1935-2009) ウィキペディアから
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竹野 暢勇(たけの のぶお、1935年11月25日- 2009年10月1日)は、競輪選手。現在の真岡市(旧二宮町)出身。現役時は日本競輪選手会栃木支部所属。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第10期卒業。選手登録番号6574。
来歴
栃木県立真岡高等学校在籍時代はサッカーを行っていたが、親が自転車店を経営していた縁で、卒業後競輪選手を志し、競輪学校第10期生となった。
鋭いダッシュ力を駆使した走法を武器として、長年に亘りトップクラスで活躍。全国都道府県選抜競輪を4回優勝した。
また、オールスター競輪では、1956年に川崎競輪場で開催された第1回から、1984年に西宮競輪場で開催された第27回まで、ファン投票で選ばれ全て出場した[1]。1967年に岸和田競輪場で開催された第12回の大会では、バックから捲った伊藤繁の後位に入り込み、ゴール直前、伊藤を交わして優勝した。
引退後は1995年1月に創設された日本名輪会にも会員として加わり活動していたが、2009年10月に病気のため死去。73歳没。
主な獲得タイトル
エピソード
- 栃木県登録選手には、今でも「竹野人脈」ともいうべき系図が存在する。
- 12車立て時代の後楽園競輪場で行われた、とある日のレースで、最終バック11番手の位置から捲りきって勝ったことがある。
脚注
関連項目
外部リンク
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