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二宮町 (栃木県)
日本の栃木県芳賀郡にあった町 ウィキペディアから
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二宮町(にのみやまち)は、栃木県南東部に位置し、芳賀郡に属していた町。町名は二宮尊徳にちなむ。2009年3月23日、真岡市に編入。
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地理
鬼怒川左岸に位置し、茨城県と境を接する。町内には他に五行川・小貝川が流れている。
隣接していた自治体
歴史
要約
視点
二宮の地に人が住み始めたのは縄文時代、土器や石斧などが出土。古墳時代の豪族の墳墓が各地にみられ、当時大和朝廷の支配下におかれ、物部地区は物部氏の領地であったことがうかがえる。平安時代後期、平将門の乱で将門を討った藤原秀郷が下野守に任じられ、その一族が下野国において勢力拡大。秀郷の子孫の小山政光の次男宗政が1184年(寿永3年)長沼地区に長沼城を築き長沼姓を名乗る。戦国時代には下館城主水谷蟠竜斎が、久下田地区と隣接する筑西市樋口に久下田城を築城し、木綿織を奨励するなど、後の久下田町の基礎を築く。江戸時代、真岡藩、下館藩、土浦藩、笠間藩、小田原藩などの領地となる。江戸後期の1823年、二宮尊徳が小田原藩主大久保忠真より疲弊し荒れ果てた桜町(現在の二宮町物井、真岡市東郷の一部)の再興を命じられ、桜町に赴任する。以後26年間に渡り、桜町を拠点として周辺地域の復興に携わる。
年表
- 1889年(明治22年)4月1日 - 久下田町(くげたまち)、長沼村(ながぬまむら)、物部村(ものべむら)が誕生。
- 1912年(明治45年)4月1日 - 真岡軽便線(現在の真岡線)の下館駅 - 真岡駅間が開業。
- 1954年(昭和29年)5月3日 - 久下田町・長沼村・物部村が合併し、二宮町発足。
- 1970年(昭和45年)4月1日 - 国道294号の千葉県柏市 - 栃木県益子町間が制定。
- 1993年(平成5年)4月1日 - 国道408号の茨城県つくば市 - 栃木県高根沢町間が制定。
- 2009年(平成21年)3月23日 - 真岡市に編入合併。
町内には西から鬼怒川、五行川、小貝川と3本の一級河川が南流している。 二宮尊徳が26年間過ごした陣屋跡が「史跡・桜町陣屋跡」として国指定の史跡になっており、周辺は史跡公園として整備されている。尊徳資料館が隣接している。 また、浄土真宗の開祖としてしられる、親鸞が建立した専修寺があり、こちらも「史跡・高田山専修寺境内」として境内全体が国指定の史跡となっている。
行政区域変遷
- 変遷の年表
- 変遷表
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行政
町長
- 藤田忠義(2002年から)
Linux への移行
独立行政法人情報処理推進機構の「自治体におけるオープンソース・ソフトウエア活用に向けての導入実証」に参加。2006年2月から役場内の事務用パソコンのOSを、他の官公庁、自治体との間でのデータ交換用を除き、ほとんどすべてWindowsからLinuxに移行している。 またこれに伴い、オフィスソフトやメールソフトなども、オープンソース・ソフトウェアに移行している。
経済
産業
- イチゴ(生産量全国一)
いちごは平成元年から17年連続日本一を誇り、生産額は50億円を突破している。400世帯の農家により年間4800トンの収穫量。主力商品は甘みの豊かな「とちおとめ」である。
地域
教育
名称は廃止当時のもの。
- 学校
特記のない学校は、合併後すべて真岡市立となった。
- 二宮町立久下田中学校
- 二宮町立長沼中学校
- 二宮町立物部中学校
- 二宮町立久下田小学校
- 二宮町立長沼北小学校(2008年長沼南小と統合し二宮町立長沼小学校へ)
- 二宮町立長沼南小学校(2008年長沼北小と統合し二宮町立長沼小学校へ)
- 二宮町立物部小学校
- 二宮町立物部小学校高田分校(2008年3月閉校)
- 公民館
- 二宮町中央公民館
交通
鉄道
道路
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
催事・祭事
- 高田山専修寺の針供養(高田の夜祭り)(8月1日)
- 久下田町のいたどまち(11月下旬)
- 二宮夏祭り・花火大会(尺玉連発)(8月下旬)
- にのみやいちごまつり(イチゴ狩り)(5月下旬)
- 泥んこバレーボール大会(7月下旬)
脚注
外部リンク
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