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笠広庭

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笠 広庭(かさ の ひろにわ)は、平安時代初期の貴族玄蕃助・笠庭麻呂の子とする系図がある。官位従四位下美濃守

概要 凡例笠広庭, 時代 ...

経歴

嵯峨朝弘仁10年(819年従五位下叙爵淳和朝では陸奥守を務め、在任中の天長5年(828年)従五位上に叙せられる。仁明朝承和5年(838年)三階昇進して従四位下に至る。美濃守在任中の承和7年(840年淳和上皇崩御に伴い、本来であれば平安京から五位の官人を派遣して固関を行うべきところ、不破関のみ便宜的に国守の広庭が固関を命じられている[1]

承和8年(841年)閏9月23日卒去。最終官位は散位従四位下。

官歴

六国史』による。

系譜

  • 父:笠庭麻呂[2]
  • 母:不詳
  • 生母不明の子女
    • 男子:笠豊興[2]
    • 男子:笠豊宗[2]

脚注

参考文献

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