トップQs
タイムライン
チャット
視点

第12回札幌記念

ウィキペディアから

Remove ads

第12回札幌記念(だいじゅうにかいさっぽろきねん)は、1976年7月11日札幌競馬場で施行された競馬の競走である。

概要 開催国, 主催者 ...

馬齢は全て旧表記(数え年)にて表記

概要

1976年5月30日の第43回東京優駿(日本ダービー)は、単勝4番人気であったクライムカイザーが優勝し、単勝1番人気に支持されたトウショウボーイは1馬身半差の2着に敗れた[1]。トウショウボーイはその後北海道に戻って短い休養をとったのち、札幌記念に出走することを決定し、クライムカイザー陣営もこれを追うような形で参戦を決めた。前走のダービーの1・2着馬が再戦する構図になったことが評判となり、レース当日は札幌競馬場の入場人員記録となる60,549人が詰めかけた[2]。この記録は当競走から半世紀近く経った2025年7月末の時点においても破られていない[注釈 1]

当日の単勝オッズで1番人気に支持されたのは、TTGの1頭でお馴染みになっていたトウショウボーイだったが、クライムカイザーは3番人気で、2番人気は6月20日札幌日経賞(ダート1800m)で大差勝ち[3]したグレートセイカンとなった。レースはグレートセイカンが端を切り、スタートで躓いたことで出遅れたトウショウボーイがこれを後方で見る展開になる。トウショウボーイは3コーナーから追い出しにかかり、直線入口付近ではグレートセイカンとトウショウボーイが他馬をかなり離し、優勝争いはほぼこれら2頭に絞られた。トウショウボーイはグレートセイカンを捉えんと追い込むも、クビ差まで迫ったところがゴールだった。

グレートセイカンは前走に続く連勝で、重賞は初勝利。クライムカイザーは3着だったが、2着のトウショウボーイからは8馬身も離されていた[4]。トウショウボーイは、この出遅れと敗戦が主因となって、池上昌弘が主戦騎手から降ろされたと同時に、以後は引退まで12年間の長期低迷期(暗黒時代)に入ってしまうこととなった。

Remove ads

出走馬・枠順

1976年7月11日 第1回札幌開催8日目 第8競走[4]
コース
ダート 2,000m
天気
馬場状態
さらに見る 枠番, 馬番 ...
Remove ads

結果・払戻金

順位表[4]

さらに見る 着順, 枠番 ...

払戻金[5]

さらに見る 馬番/枠番, 金額(円) ...

脚注

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads