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札幌記念
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札幌記念(さっぽろきねん)は、日本中央競馬会(JRA)が札幌競馬場で施行する中央競馬の重賞競走(GII)である。
概要
要約
視点
1965年に4歳(現・3歳)以上の馬による重賞競走として創設され、札幌競馬場で施行する重賞競走としては、最も歴史が古い[3]。札幌競馬場は寒冷地のため当時は芝コースが設置されておらず、砂[注 1]2000m(左回り)で施行された。その後1969年から1974年までは左回りダート、1975年から1989年までは右回りダートコースで施行していたが、1990年から右回り芝コースでの施行に変更[注 2][4]され現在に至っている。負担重量は創設から長らくハンデキャップだったが、1997年から別定に変更したのち、2006年以降は実力馬の参戦を促す観点から定量に変更された[4]。
1984年のグレード制施行によりGIII[注 3]に格付けされたが、1997年から夏季競馬開催では唯一となるGII[注 3]に格上げされた[4]。GIIに格上げ後は、開催時期の関係から[注 4]夏季に開催される数少ない定量戦であることや賞金の高さから、過去にGIを優勝している馬や後にGIを勝利する馬が本競走に出走するなど、過去や未来の大レースと密接な繋がりを持つ競走となっている[4][注 5]。2006年からはサマー2000シリーズの第4戦にも指定された[4]。2009年からは国際競走となり、外国馬も出走可能になった[6]。毎年のように豪華な出走馬が集うことやGIIとしては高額に設定された賞金(後述)から、GIに匹敵する「スーパーGII」[7]とも呼ばれている[8][9][注 6]。また、通常時GIが開催されない競馬場で開催される唯一のGIIレースでもある。
「日刊競馬」の田所直喜は、1989年までダートコースで行われていた時代[注 7]の本競走について「(当時はダートの大レースが少なかったので)今と比べても見劣らない存在感があった[10]」と評する。地方競馬との交流重賞が整備され、ダート重賞が急増した1995年までは中央競馬のダート重賞自体が少なく[10][注 8]貴重な存在で、「夏のダート王決定戦」の趣があり、「レースの格や賞金が高くないわりに、有名一流馬の登場回数が多かった[10]」という。
競走条件
出走資格:サラ系3歳以上
- JRA所属馬
- 地方競馬所属馬(認定馬のみ、2頭まで)
- 外国調教馬(優先出走)
負担重量:定量(3歳55kg、4歳以上58kg、牝馬2kg減)
賞金
2024年の1着賞金は7000万円で、以下2着2800万円、3着1800万円、4着1100万円、5着700万円[1][2]。
1着賞金の7000万円は、中央競馬で施行するGII競走では最高額となっている[12]。
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歴史
要約
視点
- 1965年 - 4歳以上の競走馬によるとして創設。札幌競馬場の左回り砂2000mで施行[4]。
- 1968年 - 「札幌創建100年」の副称を付けて施行[4]。
- 1975年 - 混合競走に指定、外国産馬が出走可能になる。
- 1984年 - グレード制施行によりGIII[注 3]に格付け[4]。
- 1990年 - 施行コースを右回り芝に変更[4]。
- 1997年
- 2001年 - 馬齢表示を国際基準へ変更したことに伴い、出走条件を「3歳以上」に変更。
- 2002年 - サックスプレイヤーのMALTAが生ファンファーレを演奏。
- 2004年 - 「日本中央競馬会創立50周年記念」の副称を付けて施行[13]。
- 2006年
- 負担重量を定量に変更。
- サマー2000シリーズの第4戦になる。
- 2007年
- 日本のパートI国昇格に伴い、格付表記をJpnIIに変更。
- 「札幌競馬場開設100周年記念」の副称を付けて施行[14]。
- 2009年
- 2012年 -「近代競馬150周年記念」の副称を付けて施行[15]。
- 2013年 - 札幌競馬場のスタンド改築工事により、函館競馬場で施行[16]。
- 2014年 -「日本中央競馬会創立60周年記念」の副称を付けて施行[17]。
- 2020年 - 新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、「無観客競馬」として実施[18](陸上自衛隊北部方面音楽隊による生ファンファーレの演奏は行われた)。
歴代優勝馬
コース種別を記載していない距離は、芝コースを表す。
優勝馬の馬齢は、2000年以前も現行表記に揃えている。
1974年までは左回り、1975年以降は右回り[4]。競馬場は第49回を除き札幌で行われている。及び距離は第1回から第4回までが砂2000m、第5回から第24回はダート2000m、第25回はダート1700m、第26回から第48回と第50回以降は2000m、第49回のみ函館2000mで行われていた。
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同名の競走
「札幌記念」という名称の競走自体は、1947年(昭和22年)から札幌競馬場で行われていた[20]。この「札幌記念」競走は第二次世界大戦後に札幌競馬が再開された1947年(昭和22年)から1964年(昭和39年)まで、距離の変遷や中断を挟みつつ施行されていた。競走条件は4歳(当時の馬齢呼称)以上、負担重量はハンデキャップで、現在のオープン特別競走のような扱いになっていた。JRAではこの競走を、現行の重賞競走:札幌記念の前身としていない。
この時期の札幌記念勝ち馬にはトサミドリ、初代ヒシマサルなどがいる。
優勝馬
距離は1948年から1949年、1952年から1955年及び1960年(1951年と1956年から1957年及び1959年と1961年を除く)から1964年までが砂2000m、1950年が砂2400m、1958年が砂1800mであった。
脚注・出典
外部リンク
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