第14回宝塚記念

ウィキペディアから

1973年6月3日阪神競馬場で行われた第14回宝塚記念について詳細する。

  • なお、馬齢については当時の表記方法(数え年)とする。

レース施行時の状況

阪神競馬場の当日は晴れて良馬場で進められていた。春の天皇賞を制したタイテエムが単勝支持率66.6%の圧倒的1番人気に支持され、その後はエイトクラウンとの母仔制覇が懸かるナオキ、天皇賞でタイテエムの3着に入ったシンザン産駒・シンザンミサキハマノパレードと続いた。

出走馬と枠順

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枠番馬番競走馬名騎手オッズ調教師
11ハマノパレード牡5田島良保4人(14.3)坂口正二
22ミリオンパラ牡6戌亥信昭7人(105.2)戌亥信義
33カツタイコウ牡6加賀武見5人(21.9)柄崎義信
44タイテエム牡5須貝彦三1人(1.5)橋田俊三
55アイチアサホマレ牡6西谷達男7人(117.4)上田武司
66ナオキ牡6佐々木昭次2人(10.3)田中康三
77シンザンミサキ牡7久保敏文3人(12.6)久保道雄
88エリモカップ牡7大久保光康6人(39.3)大久保正陽
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レース展開

スタートは出遅れ癖のあるミリオンパラが今回も出遅れたものの、その他の7頭は通常のスタートだった。最内1枠1番と言う好枠を生かし、好スタートからハマノパレードが先手を取り、その後にタイテエム・ナオキ・シンザンミサキと有力馬が続いた。

ハマノパレードのマイペースの逃げは最終コーナーを回っても鈍る事無く、最後の直線で一瞬タイテエムに馬体を併せられそうになるものの、二の脚を使いクビ差で逃げ切った。2分12秒7のレコード勝ちであった。

この競走の映像(関西テレビ放送の中継の映像を収録したもの)は、1995年10月20日にポニーキャニオンより発売された「中央競馬GIシリーズ 宝塚記念史」に収録されている。

レース結果

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着順枠番馬番競走馬名着差
111ハマノパレード2分12秒7
244タイテエム アタマ 
366ナオキ1/2
455アイチアサホマレ8馬身
588エリモカップアタマ
633カツタイコウ1/2
777シンザンミサキ2.1/2
822ミリオンパラ1.3/4
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払戻

単勝式11060円
複勝式1160円
4100円
6120円
連勝複式3-7280円

レースのその後

宝塚記念を制したハマノパレードは第3回高松宮杯に出走。しかし、ゴールの残り150m地点で転倒し、左前脚を骨折。普通なら予後不良の診断が下さるが、ハマノパレードは翌朝、殺された。


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