宝塚記念

日本の中央競馬の重賞競走 ウィキペディアから

宝塚記念

宝塚記念(たからづかきねん)は、日本中央競馬会(JRA)が阪神競馬場で施行する中央競馬重賞競走GI)である。

概要 宝塚記念 Takarazuka Kinen, 開催国 ...
宝塚記念
Takarazuka Kinen[1]
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第64回宝塚記念(2023年6月25日)
優勝馬:イクイノックス
鞍上:クリストフ・ルメール
開催国 日本
主催者 日本中央競馬会
競馬場 阪神競馬場
創設 1960年6月26日
2025年の情報
距離 芝2200m
格付け GI
賞金 1着賞金3億円
出走条件 サラ系3歳以上(国際)(指定)
負担重量 定量(3歳53kg、4歳以上58kg、牝馬2kg減)
出典 [2][3]
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競走名の「宝塚」は宝塚市を指す。阪神競馬場の所在地で、兵庫県の南東部に位置する[4][5]

正賞は宝塚市長賞、日本馬主協会連合会会長賞、ブリーダーズカップ・チャレンジ[2][3]

概要

要約
視点
概要 映像外部リンク ...
映像外部リンク
宝塚記念専用ファンファーレ(1999年 - )(カンテレ競馬公式YouTube)
第40回宝塚記念(1999年)JRA宝塚記念専用(3m5s〜)
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2018年宝塚記念
左:ミッキーロケット(優勝馬 鞍上:和田竜二
右:ワーザー香港代表 鞍上:ヒュー・ボウマン
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第60回宝塚記念
優勝馬:リスグラシュー(鞍上:D.レーン
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第62回宝塚記念
優勝馬:クロノジェネシス(鞍上:クリストフ・ルメール
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第63回宝塚記念
優勝馬:タイトルホルダー(鞍上:横山和生

有馬記念と同様に、ファン投票で出走馬を決め、こちらは上半期の締めくくりを飾る競走として関西地区の競馬を華やかに盛り上げようとの趣旨で企画され、1960年に創設された[5]。「上半期の実力ナンバー1決定戦」として位置づけられている[5]

2011年からブリーダーズカップ・チャレンジの対象競走に指定され、優勝馬には当該年のブリーダーズカップ・ターフへの優先出走権と出走登録料・輸送費用の一部負担の特権が付与される[6][註 1]。また2019年から当競走の優勝馬には当該年のコックスプレートへの優先出走権が付与されることになった[7]

ファンファーレは、1984年から1990年までは関西GI競走ファンファーレとは別の独自のファンファーレ(曲名不詳)が使用され生演奏されたが、1991年から1998年は他の関西地区GI競走と同様に宮川泰作曲の関西GI競走ファンファーレが使用された。その後、1999年より一般公募で選ばれた[8]専用のファンファーレに変更された[註 2][註 3]。作曲者は早川太海[12]

国際的評価

世界の競馬開催国は、平地競走については国際セリ名簿基準書においてパートIからパートIIIまでランク分けされており、2016年時点で日本は平地競走が最上位のパートIにランク付けされている[1]

また、各国の主要な競走は国際的な統一判断基準で評価されており、競馬の競走における距離別の区分法として定着しているSMILE区分によると、宝塚記念は「Long(2101m - 2700m)」に分類される。国際競馬統括機関連盟(IFHA)が公表した2016年の年間レースレーティング[註 4]の平均値に基づく「世界のトップ100GIレース」によると、宝塚記念は全体の15位にランキングされた。このランキングで日本の競走は宝塚記念を含め12競走がランクインしているが、日本の競走では有馬記念(13位)に次ぐ評価で、「Long(2101m - 2700m)」のカテゴリーからランクインした外国の競走との比較では、ドバイシーマクラシック(9位)に次ぐ評価となっている[13][14]

出走資格

以下の内容は、2025年現在[2][3]のもの。

  • サラ系3歳以上(出走可能頭数:18頭)
    • JRA所属馬(ファン投票選出馬・JRA選出馬)
    • 地方所属馬
    なお2025年度から、地方競馬所属馬が出走する場合は、オープン馬のみとし、下級条件(JRAでの3勝クラス以下相当)の地方所属馬は出走できないことに改正された[15]
    • 外国調教馬(最大8頭まで、優先出走)

出走馬の選定方法は以下のとおり。

  • 特別登録を行った馬の中からファン投票上位10頭が優先出走できる[註 5]
  • 上記以外の馬(外国所属競走馬を除く)は「通算収得賞金」+「過去1年間の収得賞金」+「過去2年間のGI競走の収得賞金」の総計が多い順に出走できる(地方所属馬も同様)。

負担重量

  • 定量(3歳53kg、4歳以上58kg、牝馬2kg減)[2][3][16]
  • 負担重量の変遷[16]
    • 第1回 - 第3回、第9回 - 第12回、第27回:馬齢重量
    • 第4回 - 第8回:別定重量
    • 第13回 - 第22回:4歳55kg、5歳56kg、6歳以上55kg(牝馬2kg減)
    • 第23回 - 第26回:4歳56kg、5歳57kg、6歳以上56kg(牝馬2kg減)
    • 第28回 - 第36回:3歳53kg、4歳56kg、5歳57kg、6歳以上56kg(牝馬2kg減)
    • 第37回:3歳54kg、4歳以上58kg(牝馬2kg減)
      • ※2000年以前は馬齢表記が異なるため、上の第13回から第37回にある「4歳」は、当時の表記で「5歳」である。

賞金

2025年の本賞金は1着3億円で、以下2着1億2000万円、3着7500万円、4着4500万円、5着3000万円[2]

歴史

要約
視点

旧阪神競馬場の隆盛

阪神競馬場の前身である鳴尾競馬場阪神競馬倶楽部)は、1907(明治40)年に関西で初めての本格的な競馬場として建設された。当時、日本各地にはさまざまな競馬倶楽部が設立され、それぞれ独自に競馬を営み、レースを開催していた。この時代の鳴尾競馬場を代表する競走が帝室御賞典各内国産馬連合競走だった。これに「阪神4歳牝馬競走」(1931・昭和6年創設)、阪神記念(1934・昭和9年創設)、「阪神記念アラブ系抽選馬競走」(1935・昭和10年創設)が加わり、鳴尾競馬場の「阪神競馬」は馬券の売上高では日本で一・二を争う人気を博していた(1930年から1932年まで全国2位、1933年全国3位、1934年全国1位、1935年全国2位、1936年全国1位など)[17][18][19]

1936(昭和11)年に全国各地の11の競馬倶楽部が統合されて日本競馬会になると、各地で合わせて年に10回行われていた帝室御賞典は、年2回に統合されて大いに格式が引き上げられることになった。これにより、新たな「帝室御賞典」は、春に鳴尾競馬場(阪神)、秋に東京競馬場で行われることになった。1937(昭和12)年秋に東京競馬場で新たな帝室御賞典(現在の天皇賞はこれを正式な「第1回天皇賞」としている。)が行なわれ、翌1938(昭和13)年春には鳴尾競馬場で帝室御賞典が行なわれた。この1938(昭和13)年の暮れには鳴尾競馬場で阪神優駿牝馬競走(後の「優駿牝馬(オークス)」に相当)が創設され、4歳馬[註 6]5大競走の一つも行われるようになり、鳴尾競馬場は名実ともに日本を代表する競馬場となった[17][20][21][22]

旧阪神競馬場の突然の休止

ところが、1943(昭和18)年に、鳴尾競馬場は日本海軍が接収することになった。もともと鳴尾競馬場の隣接地には、かつての阪神競馬倶楽部の母体となった別の競馬場があったのだが、そこを海軍が買収して川西航空機の工場を置き、軍用機の開発をしていた。その工場で開発・研究中の新型戦闘機紫電改の試験飛行のため、工場の隣にあった鳴尾競馬場の敷地を飛行場に転用することになったのである。1943(昭和18)年2月にはガダルカナル島が陥落するなど戦争の情勢は逼迫していて、鳴尾競馬場は代替用地が確定しないまま海軍に接収され、1943(昭和18)年の春の開催を最後に幕を閉じた。阪神で行なわれていた帝室御賞典(天皇賞)はこれ以降京都競馬場で行なわれることになり、その後も改修による一時的な阪神での開催はあったものの、戻ってこなかった[23][24][25][26]

新しい阪神競馬場の用地はひとまず目処が立ち、1周2500mとなる「東洋一[26]」の新競馬場の構想が進んだ。しかし戦局は悪化の一途をたどり、競馬場建設どころではなくなってきた。そのまま終戦を迎えると、こんどは新競馬場用地として確保していた土地が米軍に接収され、進駐軍のゴルフ場になってしまった[25][23][24][26]

再開された阪神競馬場の不振

経営母体の日本競馬会では国庫納付金を滞納するほど経営が悪化していて、新たな用地を買い付ける資力もなく、結局、空襲で破壊された川西航空機の工場跡地を整備して「仮設競馬場」として再出発することになった。こうして1949(昭和24)年にようやく阪神競馬場として再開にこぎつけた。この時に阪神3歳ステークスが創設、翌年に桜花賞が移設され、その後もチャレンジカップ(1950年創設)、鳴尾記念(1951年創設)、神戸新聞杯(1953年創設)、阪神大賞典(1953年創設)と重賞競走が拡充された[27][28][25][29]

しかしながら、再開された競馬場は奮わなかった。終戦から5年経った1951(昭和26)年になっても、破壊された工場の残骸が競馬場の中央に散乱して醜い状態だった。観戦スタンドは木造の仮設のもので、用地確保にも問題があり、競走馬の調教用地に当て込んでいた土地が権利争いになって、競馬場には厩舎が併設できなかった。馬場そのものも地盤が弱く、雨が降ると水たまりができるような有様で、こうした理由で客足も伸びず、馬券の売上は目標の30%にも届かなかった[27][30]

競馬場の再興と宝塚記念の創設

1954(昭和29)年に日本中央競馬会が発足した。元農林大臣の有馬頼寧が日本中央競馬会の理事となり、「有馬特例法」と通称される[註 7]法律を通し、競馬の収益を競馬場施設の改修に充当できるようにすると、各地の競馬場の復興が実現した。阪神競馬場でも競馬場の底地と施設が日本中央競馬会に買収され、新しい観戦スタンドが建設されて1959(昭和34)年10月に落成している。このほか障害専用走路、診療所、監視塔、事務所棟、子どもの遊技場などが次々と整備された。阪神競馬場のシンボルでもあるセントウル像は翌1960(昭和35)年に設置された[27][31][30]

有馬頼寧が1956(昭和31)年に中山競馬場に中山グランプリ(後の有馬記念)を創設した。これは、出走馬をファン投票で決めるという全く新しいタイプの競走で、大いに人気を博した。阪神競馬場では、新スタンドが落成した翌春(1960(昭和35)年)の開催から、「有馬記念の関西版[32]」として「人気投票」による競走を創設することになった。これが第1回宝塚記念である[29][28][33][34]

第1回宝塚記念は1800mで行なわれ、ファン投票による選出馬10頭と推薦委員会による選出馬10頭の合計20頭が選ばれた。しかし実際に出走したのはそのうち9頭だけだった。優勝したホマレーヒロはファン投票4位の選出馬だった[35][28]

創設後の変遷

初年度は1800mで行われたが、翌1961(昭和36)年の第2回からは2000mになった。さらに1966(昭和41)年には2200mに延長されている[35]

出走馬は当初は「4歳以上」(現在の馬齢表記では「3歳以上」に相当)と定められていた。「春競馬」に位置づけられているとはいえ、春競馬の最後に開催されるため、開催日は6月末から7月上旬になっていた。これが1968年から1ヶ月前倒しされることになり、5月末から6月初旬の開催になった。これに伴って出走条件は「5歳以上」と変更になり、古馬限定戦となった。負担重量については「別定」と称していたが、実際には5歳55kg、6歳56kg、7歳以上55kg、牝馬は2kg減量となっていて、事実上の「定量」戦であるうえに、この値は「馬齢」重量とも一致している。これは敢えてそのようにしているものである。「定量」や「馬齢」としてしまうと、宝塚記念の開催時期を移動するたびに負担重量が変動してしまうが、「別定」としておけば開催時期を春や夏に移動しても、競走での負担重量そのものは変わらず維持できるように意図されたものだった[35][19]

1987(昭和62)年からは再び「4歳馬」(現在の3歳に相当)の出走が可能になり、開催時期も繰り下げられて日本ダービーオークスなどで活躍した「4歳馬」のエントリーが容易になるように変更されている。1996(平成8)年から1999(平成11)年は7月開催だったが、2000(平成12)年からは6月下旬の開催となり、「春の中距離実力日本一」決定戦と位置づけられるようになった[35]

2017(平成29)年には天皇賞(春)、同年にG1に昇格した大阪杯とともに同一年に行われる3競走を全て優勝した馬に褒賞金の制度が創設された[36]

2025(令和7)年からは暑熱や梅雨の影響を鑑み、開催時期が2週前倒しされて6月中旬に変更予定[37]

年表

  • 1960年 - 4歳以上の馬による重賞競走「宝塚記念」を創設。阪神競馬場・芝1800mで施行[5]
  • 1966年 - 京都競馬場の芝外回り2200mで施行。これ以降、施行距離が芝2200mで定着。
  • 1968年 - 出走資格を「5歳以上」に変更。
  • 1976年 - 全国発売を開始。また厩務員労働組合の争議のため日程変更が行われ、京都競馬場での施行となった。
  • 1980年 - 京都競馬場がスタンド改築工事のため、この年のみ中京競馬場で施行。
  • 1984年 - グレード制導入、GI[註 8]に格付け。
  • 1987年 - 出走資格を「4歳以上」に変更。
  • 1993年 - 「皇太子殿下御成婚奉祝」の副称を付けて施行[16]
  • 1995年
    • 「震災復興支援競走」の副称を付けて施行(1996年まで)[16]
    • 指定交流競走となり、地方所属馬も出走可能になる[16]
  • 1997年 - 国際競走に指定、外国調教馬が5頭まで出走可能になる[16]
  • 1999年 - この年から専用ファンファーレに変更。
  • 2001年
    • 馬齢表記を国際基準へ変更したことに伴い、出走条件を「3歳以上」に変更。
    • 国際GIに指定。
  • 2004年 - 「日本中央競馬会創立50周年記念」の副称を付けて施行[16]
  • 2011年 - 「ブリーダーズカップ・チャレンジ」指定競走となる。
  • 2012年 ‐ この年はCD音源による宝塚記念のオリジナルファンファーレが使用された[註 9]
  • 2014年 - 「日本中央競馬会創立60周年記念」の副称をつけて施行[38]
  • 2020年 - 新型コロナウイルス感染拡大防止のため「無観客競馬」として実施[39]
  • 2024年 - 阪神競馬場リフレッシュ工事に伴う開催日割の変更のため京都競馬場で施行[40]
  • 2025年 - 施行時期を2週早め、安田記念の翌週となる6月第2週へ移動。

歴代優勝馬

要約
視点

優勝馬の馬齢は、2000年以前も現行表記に揃えている。

コース種別の記載がない距離は、芝コースを表す。

さらに見る 回数, 施行日 ...
回数施行日競馬場距離優勝馬性齢タイム優勝騎手管理調教師馬主単勝オッズ単勝人気1着本賞金
第1回1960年6月26日阪神1800mホマレーヒロ牡41:49.6近藤武夫武輔彦仁木清七5.7[41]2120万円
第2回1961年7月2日阪神2000mシーザー牡42:04.6伊藤修司伊藤勝吉伊藤由五郎1.41200万円
第3回1962年7月1日阪神2000mコダマ牡52:03.4栗田勝武田文吾伊藤由五郎1.51
第4回1963年6月30日阪神2000mリユウフオーレル牡42:02.1宮本悳橋本正晴三好笑子3.72300万円
第5回1964年7月5日阪神2000mヒカルポーラ牡52:03.3高橋成忠佐藤勇坪田喜之助1.91
第6回1965年6月27日阪神2000mシンザン牡42:06.3栗田勝武田文吾橋元幸吉1.71500万円
第7回1966年6月26日京都2200mエイトクラウン牝42:15.0内藤繁春田中康三山口昇12.24
第8回1967年7月2日阪神2200mタイヨウ牡42:19.4内藤繁春武田文吾内藤博司10.44700万円
第9回1968年5月26日阪神2200mヒカルタカイ牡42:14.7野平祐二藤本冨良長山善健2.011000万円
第10回1969年6月1日京都2200mダテホーライ牡42:16.1宇田明彦星川泉士伊達牧場2.921200万円
第11回1970年5月31日阪神2200mスピードシンボリ牡72:13.3野平祐二野平省三和田共弘1.611400万円
第12回1971年5月30日阪神2200mメジロムサシ牡42:17.3横山富雄大久保末吉メジロ商事(株)5.731700万円
第13回1972年6月4日阪神2200mショウフウミドリ牡62:19.9松本善登武田文吾松本市三郎4.932300万円
第14回1973年6月3日阪神2200mハマノパレード牡42:12.7田島良保坂口正二(株)ホースタジマ14.342600万円
第15回1974年6月2日京都2200mハイセイコー牡42:12.9増沢末夫鈴木勝太郎ホースマンクラブ3.513000万円
第16回1975年6月1日阪神2200mナオキ牡62:16.7佐々木昭次田中康三桜山ホース(株)2.823200万円
第17回1976年6月6日京都2200mフジノパーシア牡52:17.5大崎昭一柴田寛真田繁次3.613500万円
第18回1977年6月5日阪神2200mトウショウボーイ牡42:13.0武邦彦保田隆芳トウショウ産業(株)5.623700万円
第19回1978年6月4日阪神2200mエリモジョージ牡62:14.2福永洋一大久保正陽山本慎一3.624500万円
第20回1979年6月3日阪神2200mサクラショウリ牡42:12.4小島太久保田彦之(株)さくらコマース2.915000万円
第21回1980年6月1日中京2400mテルテンリュウ牡42:31.9西浦勝一土門健司伊藤繁子5.415500万円
第22回1981年6月7日阪神2200mカツアール牡52:14.1樋口弘柳田次男栗林英雄6.43
第23回1982年6月6日阪神2200mモンテプリンス牡52:12.6吉永正人松山吉三郎毛利喜八2.116500万円
第24回1983年6月5日阪神2200mハギノカムイオー牡42:12.1伊藤清章伊藤修司日隈広吉1.916700万円
第25回1984年6月3日阪神2200mカツラギエース牡42:12.4西浦勝一土門一美野出一三2.617300万円
第26回1985年6月2日阪神2200mスズカコバン牡52:15.9村本善之小林稔永井永一5.927600万円
第27回1986年6月1日阪神2200mパーシャンボーイ牡42:14.4柴田政人高松邦男伊達秀和7.137800万円
第28回1987年6月14日阪神2200mスズパレード牡62:12.3蛯沢誠治富田六郎小紫芳夫5.838500万円
第29回1988年6月12日阪神2200mタマモクロス牡42:13.2南井克巳小原伊佐美タマモ(株)3.029500万円
第30回1989年6月11日阪神2200mイナリワン牡52:14.0武豊鈴木清保手浜弘規4.821億300万円
第31回1990年6月10日阪神2200mオサイチジョージ牡42:14.0丸山勝秀土門一美野出長一11.431億1000万円
第32回1991年6月9日京都2200mメジロライアン牡42:13.6横山典弘奥平真治(有)メジロ牧場4.121億2000万円
第33回1992年6月14日阪神2200mメジロパーマー牡52:18.6山田泰誠大久保正陽(有)メジロ牧場23.191億3000万円
第34回1993年6月13日阪神2200mメジロマックイーン牡62:17.7武豊池江泰郎メジロ商事(株)1.51
第35回1994年6月12日阪神2200mビワハヤヒデ牡42:11.2岡部幸雄浜田光正(有)ビワ1.21
第36回1995年6月4日京都2200mダンツシアトル牡52:10.2村本善之山内研二山元哲二5.121億3200万円
第37回1996年7月7日阪神2200mマヤノトップガン牡42:12.0田原成貴坂口正大田所祐2.01
第38回1997年7月6日阪神2200mマーベラスサンデー牡52:11.9武豊大沢真笹原貞生2.31
第39回1998年7月12日阪神2200mサイレンススズカ牡42:11.9南井克巳橋田満永井啓弐2.81
第40回1999年7月11日阪神2200mグラスワンダー牡42:12.1的場均尾形充弘半沢(有)2.82
第41回2000年6月25日阪神2200mテイエムオペラオー牡42:13.8和田竜二岩元市三竹園正繼1.91
第42回2001年6月24日阪神2200mメイショウドトウ牡52:11.7安田康彦安田伊佐夫松本好雄3.42
第43回2002年6月23日阪神2200mダンツフレーム牡42:12.9藤田伸二山内研二山元哲二2.41
第44回2003年6月29日阪神2200mヒシミラクル牡42:12.0角田晃一佐山優阿部雅一郎16.36
第45回2004年6月27日阪神2200mタップダンスシチー牡72:11.1佐藤哲三佐々木晶三(株)友駿ホースクラブ3.51
第46回2005年6月26日阪神2200mスイープトウショウ牝42:11.5池添謙一鶴留明雄トウショウ産業(株)38.511
第47回2006年6月25日京都2200mディープインパクト牡42:13.0武豊池江泰郎金子真人ホールディングス(株)1.11
第48回2007年6月24日阪神2200mアドマイヤムーン牡42:12.4岩田康誠松田博資近藤利一6.73
第49回2008年6月29日阪神2200mエイシンデピュティ牡62:15.3内田博幸野元昭平井豊光11.35
第50回2009年6月28日阪神2200mドリームジャーニー牡52:11.3池添謙一池江泰寿(有)サンデーレーシング7.12
第51回2010年6月27日阪神2200mナカヤマフェスタ牡42:13.0柴田善臣二ノ宮敬宇和泉信一37.88
第52回2011年6月26日阪神2200mアーネストリー牡62:10.1佐藤哲三佐々木晶三前田幸治13.66
第53回2012年6月24日阪神2200mオルフェーヴル牡42:10.9池添謙一池江泰寿(有)サンデーレーシング3.21
第54回2013年6月23日阪神2200mゴールドシップ牡42:13.2内田博幸須貝尚介小林英一2.92
第55回2014年6月29日阪神2200mゴールドシップ牡52:13.9横山典弘須貝尚介小林英一2.71
第56回2015年6月28日阪神2200mラブリーデイ牡52:14.4川田将雅池江泰寿金子真人ホールディングス(株)14.261億5000万円
第57回2016年6月26日阪神2200mマリアライト牝52:12.8蛯名正義久保田貴士(有)キャロットファーム25.18
第58回2017年6月25日阪神2200mサトノクラウン牡52:11.4M.デムーロ堀宣行里見治9.03
第59回2018年6月24日阪神2200mミッキーロケット牡52:11.6和田竜二音無秀孝野田みづき13.17
第60回2019年6月23日阪神2200mリスグラシュー牝52:10.8D.レーン矢作芳人(有)キャロットファーム5.43
第61回2020年6月28日阪神2200mクロノジェネシス牝42:13.5北村友一斉藤崇史(有)サンデーレーシング4.12
第62回2021年6月27日阪神2200mクロノジェネシス牝52:10.9C.ルメール斉藤崇史(有)サンデーレーシング1.81
第63回2022年6月26日阪神2200mタイトルホルダー牡42:09.7横山和生栗田徹山田弘4.222億円
第64回2023年6月25日阪神2200mイクイノックス牡42:11.2C.ルメール木村哲也(有)シルクレーシング1.312億2000万円
第65回 2024年6月23日 京都 2200m ブローザホーン 牡5 2:12.0 菅原明良 吉岡辰弥 岡田牧雄 7.5 3
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宝塚記念の記録

  • レースレコード - 2:09.7(第63回優勝馬 タイトルホルダー)なお、このタイムは阪神競馬場芝2200m3歳以上のコースレコードでもある。
    • 優勝タイム最遅記録 - 2:19.9(第13回優勝馬 ショウフウミドリ)[42]
  • 最年長優勝馬 - 7歳
    • スピードシンボリ(第11回) 、タップダンスシチー(第45回)
  • 最多優勝馬 - 2勝
    • ゴールドシップ(第54回・第55回) 、クロノジェネシス(第61回・第62回)
  • 最多優勝騎手 - 4勝
    • 武豊(第30回・第34回・第38回・第47回)[43]
  • 最多優勝調教師 - 4勝
    • 武田文吾(第3回・第6回・第8回・第13回)[44][45]
  • 最多優勝馬主 - 4勝
    • (有)サンデーレーシング(第50回・第53回・第61回・第62回)
  • 最多勝利種牡馬 - 5勝
  • 親子制覇
    • エイトクラウン - ナオキ
    • グラスワンダー - アーネストリー
    • ディープインパクト - マリアライト

[46][47]

  • 兄弟制覇
  • 騎手・調教師の両方で優勝
    • 伊藤修司(第2回、第24回)

外国調教馬の成績

歴代ファン投票1位馬

要約
視点

馬齢は2000年(平成12年)以前も現行表記にそろえている。

さらに見る 回数, 開催年 ...
回数開催年馬名性齢票数着順
第1回1960年コダマ牡3不出走
第2回1961年シーザー牡4優勝
第3回1962年コダマ牡5優勝
第4回1963年リユウフオーレル牡4優勝
第5回1964年リユウフオーレル牡53着
第6回1965年シンザン牡4優勝
第7回1966年キーストン牡4不出走
第8回1967年ニホンピローエース牡4不出走
第9回1968年リュウファーロス牡5不出走
第10回1969年アサカオー牡4不出走
第11回1970年リキエイカン牡45着
第12回1971年ダテテンリュウ牡4不出走
第13回1972年アカネテンリュウ牡6不出走
第14回1973年タイテエム牡42着
第15回1974年タケホープ牡4不出走
第16回1975年キタノカチドキ牡4不出走
第17回1976年ロングホーク牡42着
第18回1977年テンポイント牡42着
第19回1978年グリーングラス牡52着
第20回1979年サクラショウリ牡4優勝
第21回1980年シービークロス牡5不出走
第22回1981年カツラノハイセイコ牡52着
第23回1982年モンテプリンス牡5優勝
第24回1983年アンバーシャダイ牡6不出走
第25回1984年ミスターシービー牡4不出走
第26回1985年シンボリルドルフ牡4取消
第27回1986年スダホーク牡45着
第28回1987年ミホシンザン牡5不出走
第29回1988年タマモクロス牡4優勝
第30回1989年ヤエノムテキ牡4119,765票7着
第31回1990年オグリキャップ牡5152,016票2着
第32回1991年メジロマックイーン牡4136,325票2着
第33回1992年メジロマックイーン牡5135,300票不出走
第34回1993年メジロマックイーン牡6139,693票優勝
第35回1994年ビワハヤヒデ牡4148,768票優勝
第36回1995年ライスシャワー牡6105,799票競走中止
第37回1996年ナリタブライアン牡5140,970票不出走
第38回1997年マーベラスサンデー牡597,617票優勝
第39回1998年エアグルーヴ牝5133,223票3着
第40回1999年スペシャルウィーク牡4136,079票2着
第41回2000年テイエムオペラオー牡487,936票優勝
第42回2001年テイエムオペラオー牡589,384票2着
第43回2002年ジャングルポケット牡472,159票不出走
第44回2003年シンボリクリスエス牡459,817票5着
第45回[48]2004年リンカーン牡460,865票3着
第46回[49]2005年ゼンノロブロイ牡567,667票3着
第47回[50]2006年ディープインパクト牡489,864票優勝
第48回[51]2007年メイショウサムソン牡476,932票2着
第49回[52]2008年ウオッカ牝475,594票不出走
第50回[53]2009年ウオッカ牝5139,507票不出走
第51回[54]2010年ブエナビスタ牝492,024票2着
第52回[55]2011年ブエナビスタ牝597,429票2着
第53回[56]2012年オルフェーヴル牡472,253票優勝
第54回[57]2013年オルフェーヴル牡570,519票不出走
第55回[58]2014年ゴールドシップ牡551,366票優勝
第56回[59]2015年ゴールドシップ牡666,123票15着
第57回[60]2016年キタサンブラック牡482,121票3着
第58回[61]2017年キタサンブラック牡5101,621票9着
第59回[62]2018年サトノダイヤモンド牡563,599票6着
第60回[63]2019年アーモンドアイ牝478,778票不出走
第61回[64]2020年アーモンドアイ牝5111,842票不出走
第62回[65]2021年クロノジェネシス牝5137,448票優勝
第63回[66]2022年タイトルホルダー牡4191,394票優勝
第64回[67]2023年イクイノックス牡4216,379票優勝
第65回[68]2024年ドウデュース牡5238,367票6着
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関連項目

脚注

参考文献

外部リンク

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