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2002年大韓民国大統領選挙
2002年12月19日に韓国で行われた第16代大統領選挙 ウィキペディアから
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2002年大韓民国大統領選挙(2002ねんだいかんみんこくだいとうりょうせんきょ、韓国語: 2002년 대한민국 대통령 선거)は、第16代大韓民国大統領を選出するため、2002年12月19日に行なわれた選挙である。なお、韓国では選挙回数を「第○回」ではなく「第○代」と数える。
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本大統領選挙の特徴
韓国の憲法では大統領の任期は5年単任制で再選が認められておらず、常に新人同士の争いとなる。今回は、大統領の座を退く金大中大統領の太陽政策を継承する姿勢を鮮明に示した与党・新千年民主党(以下、民主党)の大統領候補である盧武鉉と、太陽政策を真っ向から批判する最大野党・ハンナラ党の李会昌候補による事実上の一騎討ちの選挙戦となった。
与野党の候補者予備選
要約
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民主党
与党・民主党は2002年1月7日に行われた党務会議で、次期大統領候補と党代表を同時選出するための党大会を4月20日に行うことを決定した。また公認候補は党内選挙で選出するものとし、公認候補となった場合における党代表職の兼務禁止などの党指導部の改革も決められた。
党内選挙は、3月初めから4月末までの7週間の毎週末、全国16箇所の市・道別に巡回して行われ、各地域の得票を合計し、ソウルでの投票終了後、党大会で党候補者が決定される方法が採られた。そして、この選挙では党員で無い一般国民も、「国民選挙人団」として参加できるようになった。党内選挙の有権者70,000名の内、半分が「国民選挙人団」で占められ、応募した二十歳以上の国民の中から抽選されて決められた。また、国民選挙人団の各地域への人数配分は人口比率で決められ、定員の30%が予備選挙人団として追加抽選された。ちなみに国民選挙人団の定員35,000名の内、1,750名はインターネット投票によるものである。投票方式は選好投票制が採用され、有権者は電子投票で投票した。
2月22日と23日の両日、大統領候補予備選挙の立候補登録が行われ以下の7名が立候補した。
党代議員を対象とした事前の世論調査では、李仁済が優位であったが、3月9日の済州道、翌10日の蔚山広域市を皮切りに行われた予備選挙では、ノサモの精力的な活動に後押しされた盧武鉉が当初から優位に立ち、李仁済は出身地である忠清道(大田広域市・忠清北道、忠清南道)における選挙でのみ勝利しただけであった。そして、全国11地域での予備選挙が終わった段階で、盧武鉉8,018票、李仁済7,002票、鄭東泳1,817票となり、盧武鉉と李仁済の票差は1,016票にまで広がった。残る釜山市(4月20日実施)と京畿道(4月21日実施)、ソウル市(4月27日実施)の選挙で逆転は困難と判断した李仁済は、4月17日に党内選挙辞退を公式に表明した(李仁済以外の候補は、金槿泰が3月12日に柳鍾根が3月14日、韓和甲は3月19日、金重権が3月25日に党内選挙辞退を表明した)。そして、4月27日の党大会で盧武鉉候補が正式に民主党の大統領候補に指名された。
- 民主党大統領候補予備選挙最終結果[3]
- 盧武鉉:17,568票(72.2%)
- 鄭東泳:6,767票 (27.8%)
- 無効票:224票
- 有権者:70,769名
- 投票者数:34,381名
- 投票率:48.6%
ハンナラ党
民主党の大統領候補予備選挙において国民参加方式が取り入れられたことに触発され、ハンナラ党でも予備選挙における国民参加方式を導入することを1月22日の「選択2002準備委員会」(以下選準委)の会議で決定した。そして、5月9日の党大会で大統領候補を党指導部と共に選出することを決定した。ハンナラ党の候補者予備選挙有権者50,000名の内、半分を国民選挙人団とし、投票は1人1票制で電子投票で行われた。4月4日と5日に立候補登録が行われ、以下の4名が立候補した。
全国12箇所で投票が行われたが、当初から李会昌が優勢で、5月10日に開催されたハンナラ党の党大会で李会昌が公認候補に指名された。
- ハンナラ党候補者予備選挙最終結果[5]
- 李会昌:17,481票(68.0%)
- 崔秉烈:4,694票(18.2%)
- 李富栄:2,926票(11.4%)
- 李祥羲:608票(2.4%)
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盧武鉉と鄭夢準の候補者一本化
盧武鉉が民主党の大統領候補となった直後に行われた全国同時地方選挙で野党ハンナラ党が圧勝し、民主党は惨敗した。選挙直後に行われた各種世論調査で盧武鉉候補と民主党に対する支持率は大きく下落、李会昌候補とハンナラ党を大きく下回った。こうした結果を受け、党内では非主流派議員を中心に「予備選挙の再実施」や「候補者見直し」を求める声が挙がり始めた。2002年ワールドカップの立役者で国民から高い支持を得た鄭夢準議員が9月に立候補を表明すると、党内では鄭夢準への一本化を求めるグループが現れた。
鄭夢準は10月に新党「国民統合21」(以下、国民統合)を発足させ、選挙体制準備を整える一方で盧武鉉候補との候補者一本化交渉にも着手した。当時、支持率で李会昌候補を下回っていた盧武鉉候補側もこれを受け入れ、候補者一本化は世論調査によって行い、敗者が勝者側の選挙対策委員長を引き受けることで双方が合意した。11月25日に候補者一本化のための世論調査が実施され、盧武鉉候補が鄭夢準候補に勝利した。これを受け、盧武鉉候補は民主党と国民統合の統一候補として27日に中央選挙管理委員会へ候補者登録を行い、鄭夢準は両党共同選挙対策委員会の委員長に就いた。
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候補者
2002年11月27日と28日が候補者の登録日で、以下の7人が立候補した
選挙結果
要約
視点
民主党の盧武鉉が2位の李会昌に得票率2.32%、得票数で57万票あまりの僅差で勝利した。
- 投票率:70.8%(選挙人数:34,991,529/総投票者数:24,784,963)
韓国中央選挙管理委員会の「歴代選挙情報システム」より
- 出典:財団法人・自治体国際化協会のClairRepot 第244号『大韓民国の第16代大統領選挙』の第5章「選挙結果」に記されていた「表:各候補者の地域別得票数及び得票率」。主要候補の盧武鉉と李会昌及び権永吉の3人のみを取り上げた。
結果解説
李会昌候補を僅差で押さえて当選した盧候補はソウル市を中心とする首都圏のほか、忠清道や全羅道など10の広域市・道で李会昌候補を上回った。一方、破れた李会昌候補はハンナラ党の地盤である慶尚道のほか、江原道の六つの広域市・道で盧武鉉候補を上回った。この結果、西側地域(首都圏・忠清道・全羅道・済州道)と東側地域(江原道・慶尚道)で与野党大統領候補支持の強弱が真っ二つに分かれる結果となった。なお、この年の6月の地方選挙で躍進して存在感を発揮した民主労働党の権永吉候補は盧武鉉と李会昌の両候補に埋没し、全国平均で4%弱の支持にとどまったが、民労党の支持母体である民主労総の勢力が強い蔚山市では一割を超える支持を集めた。
盧候補勝利の要因として、投票直前の12月18日に国民統合が盧武鉉候補への支持撤回を表明したことに危機感を持った盧候補支持者が、インターネットでの呼びかけに呼応して投票に行ったことも指摘されている。
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脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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