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第9歩兵師団 (韓国陸軍)
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第9歩兵師団(だい9ほへいしだん、韓国語: 제9보병사단、漢字: 第九步兵師團)は大韓民国陸軍の師団の1つ。別名は白馬部隊(백마부대)。
歴史
要約
視点
朝鮮戦争
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朝鮮戦争中の1950年10月25日にソウルで、忠清道出身将兵が主軸となる第28連隊、第29連隊、第30連隊を基幹に編成[1][2]。第3軍団に配属。1950年11月中旬に大芚地域および慶尚北道内陸部でゲリラ討伐に従事した[1]。1950年12月中旬、原州、江陵に移動して東部戦線の防御を担当[2]。
1951年4月、寒溪嶺付近まで進出[2]。
1951年5月、中朝軍の五月攻勢を受けて敗走。5月末に第3軍団は解体され、第9師団はアメリカ軍第10軍団の指揮下に入った[3]。
1951年8月、作戦地域を第25師団に引き渡し、広峴里ポチョン(포천)に移動[4]。陸軍本部直轄となり、8月13日から10月6日まで第1野戦訓練司令部で部隊整備と教育訓練を実施[4][5]。
1951年10月、アメリカ軍第1軍団配属となる。11月、占領していた281高地、395高地をめぐって第126師と交戦した。
1952年4月5日、アメリカ軍第9軍団に配属変更[4]。
1952年10月、白馬高地の戦いで第38軍を撃退。この功績で師団長の金鐘五少将、第28連隊小隊長の鄭洛龜少尉、第29連隊第9中隊所属の金萬洙軍曹に殊勲十字章が授与された[6]。
1952年10月26日から11月15日まで、作戦地域を第3師団に引き渡し、史倉里に移動して軍団予備となって部隊整備と教育訓練を実施[7]。期間中、第30連隊は第2師団に配属され、狙撃稜線の戦いに参加[7]。
1952年11月、狙撃稜線地域に移動して第2師団陣地を引き受けた[7]。
1953年1月20日、第1野戦砲兵団が編入され、第9師団砲兵団を創設[8]。
1953年6月、五星山(오성산)周辺の高地に攻撃してきた第24軍を撃退して主抵抗線を維持した。
ベトナム戦争
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1966年、ベトナムに派遣され駐越韓国軍司令部指揮下に編入。ニンホアの基地を占拠した[9]。第28連隊はトゥイホア地域、第29連隊はニンホア地域、第30連隊はカムランを担当した[10]。
1967年7月、首都師団と共に烏鵲橋作戦(오작교 작전、Operation Oh Jac Kyo)に参加[11]。
1968年10月から開始された白馬作戦では北ベトナム軍兵士382人を射殺し、北ベトナム軍第7大隊と第18連隊を無力化した[11]。
1969年5月、第30連隊第2大隊の兵士が北ベトナム軍第5師団の基地があるタオ山に空中輸送され、一帯の洞窟と暗渠を捜索[12]。北ベトナム軍155人射殺、韓国軍の損害は戦死3人、負傷1人であった[12]。
1979年12月、師団長の盧泰愚少将が粛軍クーデター参加し、第29連隊を中央機関に出動させた。
1980年3月23日、第29連隊が仁川沖にて満潮に乗じた幸州大橋近くまで浸透した武装共産軍3人を射殺する戦果を上げた[13]。
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編制
- 第28連隊(トッケビ部隊)
- 第29連隊(金蝙部隊)
- 第30連隊(鷲部隊)
- 砲兵連隊(白虎部隊)
- 第30野戦砲兵大隊(第7095部隊)
- 第51野戦砲兵大隊(第7263部隊)
- 第52野戦砲兵大隊(第7052部隊)
- 第966野戦砲兵大隊(第8293部隊)
- 直轄隊
- 戦車大隊
- 偵察大隊
- 工兵大隊
- 整備大隊
- 憲兵大隊
- 情報通信大隊
- 補給輸送大隊
- 化生放支援大隊
- 補充中隊
- 防空中隊
- BGM-71 TOW中隊
- 本部勤務隊
- 医務勤務隊
師団長
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脚注
参考文献
関連項目
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