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筑波国造
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筑波国造(つくばのくにのみやつこ・つくばこくぞう)は常陸国南部を支配した国造。
概要
祖先
氏族
『正倉院文書』に、筑波国造の末裔と見られる筑波郡副擬少領・丈部直佐弥麻呂の名前が見えるため、丈部直氏であったとする説がある[3]。
また、常陸国筑波郡の出身の采女で、尚膳として孝謙天皇(称徳天皇)に仕えており、神護景雲2年(768年)6月に、常陸国造に任命された[4]壬生直小家主女も筑波国造の末裔であると考えられることから、壬生直氏も筑波国造の一族であったとされる[5]。
本拠
筑波郡筑波郷。
支配領域
国造の支配領域は当時筑波国と呼ばれた地域、後の常陸国筑波郡、現在の茨城県土浦市の一部、つくば市・つくばみらい市の大部分に相当する。なお、『常陸国風土記』によれば、筑波は旧名が「紀国(きのくに=毛野国)」であったとされており、筑波の西は毛野川(鬼怒川)と連なり下毛野とも近接しているため、毛野はある時期には那須地域の他にも常陸国の新治・白壁・筑波の一帯を含む地域であった可能性が指摘されている。4世紀後半から5世紀初め、この地域の前方後円墳は栃木県の小川・湯津上一帯と茨城県の筑波・柿岡一帯に分布しており、茨城県石岡市の丸山古墳と、栃木県那須郡那珂川町の那須八幡塚古墳は、墳丘の形や内部構造までが一致している[6]。
氏神
筑波郡に唯一存在する式内社の筑波山神社。筑波男神・筑波女神を祀る。
墓
脚注
参考文献
関連項目
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