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綾小路護
日本の政治家、華族 ウィキペディアから
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綾小路 護(あやのこうじ まもる、1892年〈明治25年〉10月27日[1] - 1973年〈昭和48年〉10月21日[1][2])は、大正から昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。綾小路家19代当主。旧姓・野宮[1]。位階は正四位[2]。
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経歴
東京において、子爵・野宮定穀の五男として生まれ、綾小路家18代当主・綾小路家政の養子となる[1][3]。養父の死去に伴い、1921年(大正10年)4月30日、子爵を襲爵した[1][4]。
1920年(大正9年)京都帝国大学経済学部卒業[2]。十五銀行に入行[3]。その後、横山工業監査、帝国鉱業開発監事などを務めた[3]。また、歌会始講頌として披講の講頌役を務めた[2][5]。
1925年(大正14年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され[6][7]、研究会に所属して活動し大蔵省委員、税制調査会委員などを務め[2]、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。
栄典
親族
- 実母 野宮餘年子(よねこ、嵯峨実愛七女)[9]
- 養母 綾小路晨子(はやこ、石山基正三女)[1]
- 妻 綾小路雪子(有馬頼之長女)[1]
- 長男・綾小路有功(1924-) ‐ 綾小路家20代当主。
- 長女・章子(1927-) ‐ 味の素社長鈴木重明の元妻。離婚後、高級雀荘「李白」を経営、1973年に客で17歳下の愛人の日商岩井社員との別れ話がこじれ、仲裁に入った同社の先輩社員を銃殺、実刑5年判決(3年で出所)。人と面談時に録音する習慣があり、犯行時の会話が全て録音されていたことでも話題になった。[10][11][12][13]
- 二男・綾小路有昭(1929-2015) ‐ 富国生命保険常務。岳父に貝島燃料工業社長・貝島栄一(炭鉱王貝島太助孫)。[14][15]
- 三男・綾小路有恒(1932-)
- 二女・康子(1933-) ‐ 貝島信人(貝島栄一の子)の妻
- 三女・睦子 ‐ 八十島武夫(八十島親義二男)の妻
脚注
参考文献
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