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野宮定穀
幕末の公家、明治から大正期の宮内官・政治家・華族 ウィキペディアから
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野宮 定穀(ののみや さだよし)は、幕末の公家、明治から大正期の宮内官・政治家・華族。貴族院子爵議員。

経歴
山城国京都で権中納言・竹屋光有の三男[注 1]として生まれ、慶応2年12月2日(1867年1月7日)、権中納言・野宮定功の養子となる[1][3][4]。同月8日、従五位下に叙され、慶応4年5月8日(1868年6月27日)に元服し昇殿を許された[3][4]。1880年(明治13年)12月2日、養父の隠居に伴い家督を継承[3][4]。1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[5]。
1876年(明治9年)12月、宮中祗候に就任[2][4]。以後、滋宮祗候、青山御所勤番、同祗候、英照皇太后御葬祭斎官、大喪使祭官などを務めた[2][4]。
1897年(明治30年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され[6][7]、1904年(明治37年)7月9日まで在任[2]。1905年(明治38年)4月8日、貴族院子爵議員補欠選挙で再選され[8][9]、1918年(大正7年)7月9日まで通算3期在任した[2]。
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系譜
脚注
参考文献
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