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織田長迢
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織田 長迢(おだ ながとお)は、江戸時代前期から中期にかけての高家旗本・茶人。通称は多門、平八郎。官位は従四位下・侍従、隼人正。
生涯
高家旗本織田貞置の長男として誕生した。
万治2年(1659年)7月11日、部屋住ながら書院番に召し出された。後に父・貞置が高家に就任したことで解職となった。天和2年(1682年)6月2日、貞置の隠居により家督を相続した。相続の際に弟の貞則に300石を分けたため、家禄は700石となった。天和3年(1683年)2月13日、高家職に就任し、翌月、従四位下・隼人正に叙任された。元禄5年(1692年)3月23日、高家職を辞職し、寄合に所属した。元禄15年(1702年)6月23日に隠居し、次男の長能に家督を譲った。以後、自斎と称した。
享保3年(1718年)1月18日死去、享年77。墓地は東海寺清光院にある。以後、歴代の当主が同院に葬られた。明治期に15基の供養塔が一つにまとめられた。
父の貞置から有楽流の茶道を学んでいる。
系譜
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