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美作総社宮

津山市にある神社 ウィキペディアから

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美作総社宮(みまさかそうじゃぐう)は、岡山県津山市にある神社。正式名称は総社美作国総社で、旧社格県社

概要 総社, 所在地 ...
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鳥居

祭神

主祭神
相殿神

歴史

古代国司は各国内の全ての神社を一宮から順に巡拝していた。これを効率化するため、各国の国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、まとめて祭祀を行うようになった。当社はそのうちの美作国の総社にあたる。

社伝によれば、欽明天皇25年(564年?)に現在地より約1km西にある本館(ほんだて)に大己貴命を祀ったのが始まりという[1]。ただしその根拠は不明で、室町時代末期までの当社の沿革は明らかでない[2]

奈良時代初期の和銅6年(713年)に備前国北部6郡を分割し美作国が設けられ、和銅7年(714年)には国府が置かれたと伝える[1]。その後、美作国司により現在の亀甲山に遷座するとともに、中山神社高野神社など美作国65郷全てを合祀し美作国総社と定められたという[1]鎌倉時代に入り国府は廃れたが、当社は美作三大社の一社として崇敬されたと伝える[1]

確かな文献により当社の沿革が明らかとなるのは、永禄12年(1569年)、当地に進出してきた毛利元就により所領が安堵されて以降である[2]。その後は領主からの崇敬は篤く、江戸時代には津山藩主森氏松平氏から社領の寄進も受けた[1]

明治維新後、近代社格制度において県社に列したほか、神饌幣帛料供進神社に指定された[2]

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境内

  • 本殿(重要文化財)
戦国時代永禄5年(1562年毛利元就が戦勝の記念として再建した。江戸時代前期の明暦3年(1657年)に津山藩森長継により大改修が行われた。
この地方独自の中山造で、桁行三・梁間三間・一重入母屋造・妻入、向拝一間・向唐破風造、こけら葺である。

摂末社

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摂末社
  • 天満神社
  • 稲荷神社
  • 南神社
  • 御崎神社

祭事

  • 春季例祭 (4月10日
  • 秋季例祭 (10月第2日曜日)
  • 新嘗祭 (12月10日) - 特殊神事の湯立神事が行われる

文化財

重要文化財(国指定)

現地情報

所在地
周辺
  • 国府台寺 - 美作国府跡の位置にあたる

脚注

参考文献

外部リンク

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