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羽田澄子
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羽田 澄子(はねだ すみこ、1926年1月3日 - )は、日本の映画監督。 「世田谷・九条の会」呼びかけ人を務めている[2]。
来歴
旧満州大連市生まれ。1942年旅順高等女学校卒業。満州から引き揚げ、自由学園女子部高等科卒業後、1950年に恩師羽仁説子の紹介で、岩波書店と資本関係のない関連会社岩波映画製作所に入社し、岩波写真文庫を編集に携わる。
映画シナリオを任され、映画『歯』のシナリオを描いた際に、助監督も試験的に担当[3]。羽仁進監督の下で助監督を務めた後、1957年に『村の婦人学級』(岩波映画)で監督デビューを果たす。
1977年『薄墨の桜』を初めて4年間かけ自主製作する。岩波ホールで他3本と上映の際、総支配人高野悦子がドキュメンタリー映画商業上映での史上初の入場料を取り、無料の慣例を変える[4]。
1980年に岩波映画製作所を定年退職する。在職中の作品80本あまり。以後フリーとなり、夫であるプロデューサーの工藤充が率いるドキュメンタリー映画製作会社・自由工房で活動する。伝統芸能・福祉・美術・近代史といったさまざまなジャンルの記録映画に携わっている。
1982年、在職中に取り掛かっていた『早池峰の賦』を定年後に2本目の自主映画として完成[5]。岩波ホールで、3時間の長編ドキュメンタリーの5月29日から6月25日までの長期ロードショーが冒険と言われたが、記録的な成功となり8月7日1週間の再上映となる[5]。ドキュメンタリー映画監督として名声を確立する[5]。
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映画作品
- 『村の婦人学級』(1957年)
- 『薄墨の桜』(1977年)
- 『早池峰の賦』(1982年)
- 『AKIKO―あるダンサーの肖像』(1985年)
- 『痴呆性老人の世界』(1986年)
- 『安心して老いるために』(1990年)
- 『歌舞伎役者 片岡仁左衛門若鮎の巻・人と芸の巻・孫右衛門の巻』(1991年)
- 『歌舞伎役者 片岡仁左衛門 登仙の巻』(1994年)
- 『問題はこれからです―続・住民が選択した町の福祉』(1999年)
- 『平塚らいてうの生涯―元始、女性は太陽であった』(2001年)[6]
- 『山中常盤』(2004年)
- 『終りよければすべてよし』(2006年)
- 『嗚呼 満蒙開拓団』(2008年)
- 『遙かなるふるさと―旅順・大連』(2011年)
- 『そしてAKIKOは…あるダンサーの肖像』(2013年)
著書
- 『安心して老いるために』岩波書店、1992年
- 『映画と私』晶文社、2002年ISBN 9784794965240
- 『私の記録映画人生』岩波書店<岩波現代文庫>、2014年 - 『映画と私』の増補全面改訂。
- 『いまに生きる宮本百合子』(共著)新日本出版社、2004年 ISBN 4-406-03108-1
- 『終りよければすべてよし』岩波書店、2009年6月 ISBN 9784000223980
受賞
脚注
外部リンク
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