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能面

能楽や一部の神楽で用いられる仮面 ウィキペディアから

能面
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能面(のうめん)は、で用いられる仮面である。

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能面「増女ぞうおんな」江戸時代、東京国立博物館蔵(金春宗家伝来)、重要文化財

概要

要約
視点

能面は、能を演ずる際にシテ方が着ける面である。式三番)で用いられる面(式三番面、翁面)は、狭義の能面には含まれないが[1]、能面に含めて呼ぶこともある[2]。本項では翁面についても述べる。

鎌倉時代13世紀)には、翁猿楽で翁面が用いられていたようであり、これが能面の源流と考えられる。南北朝時代猿楽田楽の発展に伴い、能面の創作が始まったとされ、室町時代初期の世阿弥の時代、猿楽(申楽)が大成するのと同時期に、日本各地で優れた面打ちが輩出し、鬼面・女面をはじめとして徐々に面の種類が増えていった。室町時代後期から安土桃山時代にかけて、面の種類が出揃い、曲目と面との対応関係も確立し、能面は完成期を迎えた。江戸時代には、世襲の面打ち家が代々面打ちを行うようになり、この時代になると新たな創作はあまり行われず、室町時代の「本面」を忠実に模作することが中心となった。明治時代には、能楽界が衰微し、世襲面打ち家も絶えた。多くの能面が日本国外に美術品として流出した(→歴史)。

能面を制作することを「打つ」という。材質はヒノキが一般的であり、木取りをした後、最初は荒く、徐々に細かく彫り進め、目鼻口の穴を開けると、面裏の漆塗りをするのが一般的である。彩色さいしきに移ると、胡粉を用いて下地・上地を塗り、古色を施し、毛描きなどの工程を経て完成する(→面打ち)。

能楽師は能面をおもてと言い、面を着用することを「面をかける」「つける」と言う。面は、鬼神や亡霊など超人間的な役、老人と女性の役などに用いられ、現実の壮年の男性の役は、面をかけず、素顔(直面ひためん)で演ずるのが原則である(→面と直面)。同じ曲目・役柄でも、流儀によって面の選択の好みがあり、また、面の「位」や、役柄に対する解釈や趣向によって、どのような面を使うかが変わってくる。(→面の選択)。

能楽師は、面を極めて丁重に取り扱う。シテやツレは、楽屋で装束を着けた後、揚幕の奥にある鏡の間で面に向き合い、両手で押しいただく。そして、後見らが紐を張って面をかける(→面をかける作法)。舞台で、面に生きた表情を与えることは技量が求められ、特に女の面は微妙な「中間表情」を持っているとされ、わずかに面を下に向ける(クモラス)、上に向ける(ラス)などといった扱い方によって、観客から見た効果が変わってくる(→舞台上の効果)。

現在知られる面の名称は約300、面種は約250に及ぶとされるが、基本の面種は約60種類で、約60種類をそろえれば、約240曲の現行曲のほとんどを上演することができると言われる。役柄によって大まかに分類すると、人間の面は、老体面(尉面)・女体面(女面)・男体面(男面)と分けることができ、その中にも、穏やかな表情のもの(常相面)と、非日常的なすさまじさを持った表情のもの(奇相面)とがある。また、鬼や天狗などの異類の面(鬼面、異相面)もあり、これも老体・女体・男体の異類に分けることができる(→種類)。主な面種の例については、一覧表を参照(→主な面種(能面・翁面)の例)。

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歴史

要約
視点

ルーツ

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伎楽面治道ちどう」(左)と「呉女ごじょ」。いずれも法隆寺献納宝物

飛鳥時代推古天皇20年(612年)、百済味摩之が、呉(中国南部)から伎楽を伝えたとされている。これは仮面である伎楽面を用い、寺院に向かって行列を組むもので、道中で寸劇を演じることもあった。伎楽面は、後頭部まで覆う大型面で、鼻が高いのが特徴である。伎楽面の「呉女」は能面の女性面に影響を与えているとされる[3]

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舞楽面「貴徳」(左)と「採桑老」。採桑老は翁面の原型とされる[4]

伎楽に続いて、宮中儀式芸能として舞楽が大陸から伝来した。舞楽面は、伎楽面のように後頭部まで覆うものではなく、小さめである。口のところを上下に切り、口の左右を紐で結ぶ「切り顎」、下顎を紐で吊る「吊り顎」形式のものなどがある。このうち「切り顎」のものは、翁面とも関係があるとされる[5]

翁面の時代

能楽の源流は、翁猿楽式三番)にあるとされ、翁猿楽が演じられたことを示す最古の記録は、13世紀末の奈良春日大社の祭礼記録にある。1283年弘安6年)の『春日若宮臨時祭記』には、次の記事があり、猿楽方の諸役の中で翁の役のみが「翁面ヲキナヲモテ」と呼ばれている[6]

猿楽 児虎松殿 翁面延覚坊 三番猿楽大輔公 冠者美之君 父允善永坊

式三番に用いられる面は、平安時代末期に創作され、鎌倉時代には完成していたようであり、父尉、翁(白式尉)、三番叟(黒式尉)、延命冠者の4面が用いられていたようである[7]ベルリン国立民族博物館英語版所蔵の翁面には、面裏の漆の下に弘安元年(1278年)の墨書銘があり、翁面の造形が鎌倉中期には確立していたことが分かる[8]

なお、後世の言い伝えでは、翁面の最古の作家として聖徳太子、淡海公(藤原不比等または藤原鎌足)、弘法大師(空海)、春日(鞍作止利または稽文会・稽主勲)の4人を「神作」と呼んでいるが、荒唐無稽の説である[4]

世阿弥の言葉を記した『世子六十以後申楽談儀』には、「面の事。翁は日光打ち。弥勒、打ち手也。」とあり、翁面の優れた打ち手として日光と弥勒の2人が挙げられている[9]

4面のうち、延命冠者を除く3面は、顎が口の横から切り離されて紐で繋がれた「切り顎」という構造をとっており、他の能面にはない特徴である。切り顎は、声がこもらずに聴こえやすくするための構造とも考えられる[10]

創作期

南北朝時代以降、猿楽田楽が発展していったが、古来の伎楽面、舞楽面、神像仏像等の影響を受けながら、能面の創作が始まったとされる。1349年貞和5年)の四条河原での橋勧進田楽興行では、猿や鬼の面が使用され、同じ年の春日若宮臨時祭で禰宜が演じた田楽能では、龍神や龍王の役が面を着けたことが確認できる[11]

13世紀から14世紀にかけての初期の能面は、大衆芸能に用いられていたことを反映して、変化に富み、写実的であり、粗野な表情をしている。少女の能面も、口元や目にはっきりした笑いの表情が見られるものであった。能面の初期の彫刻技術は、当時広く演じられていた舞楽の面から取り入れられた可能性があるが、能面は、伎楽面や舞楽面とは異なり、大陸からの原型の忠実な複製ではなく、はっきりと日本人の顔立ちを表していることが特徴的である[12]

室町時代初期の世阿弥1363年? - 1443年?)の時代には、猿楽(申楽)が大きく発展し、それと同時期に、日本各地で優れた面打ちが輩出した。近江国では世阿弥が「鬼面の上手」と評した赤鶴しゃくづる(赤鶴吉成一透斎)、同じく「女面の上手」と評した愛智えち(愛智吉舟)が現れ、越前国では石王兵衛いしおうひょうえ(福来石王兵衛正友)、龍右衛門たつえもん(石川龍右衛門重政)、夜叉、文蔵(福原文蔵)、小牛(小牛清光)、徳若(徳若忠政)といった面打ちが続き、これらは『申楽談儀』に言及されている[13]。ただ、世阿弥伝書の中に見出すことができる面の呼び名は、翁面のほかには、鬼神系の大べしみ・小べしみ・飛出・鬼面・悪尉、尉面・笑尉、女面、男面と、10種に満たず、後世のような分化はまだ起こっていなかったと考えられる[14]。世阿弥の記述によれば、『鵜飼』の前シテの老人は直面であったといい、男面が出揃った時期は遅かったようである[15]

安土桃山時代下間仲孝が著した『叢伝抄そうでんしょう』(1596年)は、「面打ち上作之分」として、伝説上の人物から南北朝・室町時代にかけて活躍した偉大な面打ちを挙げて「十作じっさく」と呼んでいる[16]

翁之面-日光-弥勒、赤鶴 、越智、龍右衛門 女 男 尉、夜叉、文蔵 、小牛 、徳若 アヤカシ、三光 ベシミ 尉、日氷 、是を十作ともいふなり下間仲孝『叢伝抄』

また、十作に少し時代的に後れ、十作に次ぐ格の面打ちとして、「六作」という呼び方もされた。誰を六作とするかは伝書によって異なるが、増阿弥、千種、福来、宝来、春若、石王兵衛などがこれに当たるとされる[16]

完成期

室町時代後期から安土桃山時代にかけては、面の創作が続けられるとともに、様式が完成してきて、種類もほぼ出揃った。曲目と面との対応関係も確立してきて、下間仲孝が著した能の型付『童舞抄とうぶしょう』には、『海士』の前シテ(海士)には「ふかひ・しゃくみ」、後シテ(竜女)には「泥眼」または「ぞう」、「観世には橋姫の面」というように、曲ごとの使用面が書かれている[17]。室町時代の面は本面ほんめんと呼ばれ、江戸時代以降の能面の理想・規範とされた[18]

豊臣秀吉は、伝説の名人龍右衛門の3面の「小面」に「雪・月・花」と名付けたと伝えられる。そのうち、月の小面は江戸城で火災に遭って焼失したが、雪の小面は金剛宗家、花の小面は三井記念美術館に伝えられている[19]

この時代に活躍した面打ちには、伝説上の人物も含め、三光坊、大光坊だいこうぼう、般若坊、真角しんかく東江とごう、財蓮、慈雲院、吉祥院、智恩坊、すみノ坊、氷見ひみ(日氷)、若狭守など、仏師や僧が多い[16]

模作期

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龍右衛門作と伝えられる「雪の小面」を江戸時代初期に写したもの。井関家四代の河内家重作を示す河内印がある。「雪の小面」と同じクスノキを用い、面裏の様子も全て写している[20][21]
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橘岷江『彩画職人部類・下』(1784年再刻)。制作中の面打師の姿が描かれている。

江戸時代には、能は幕府の式楽として保護され、諸大名も、競って古面や名品を蒐集したり、本面を面打ちに写させたりした。新たな創作はあまり行われなくなり、「写し」と称されて模作中心となった[22]。本面の写し方は徹底しており、彩色の刷毛目や、鑿跡、面に付いた微細な傷、彩色の剥落まで写しているものもある[23]

1532年天文元年)に亡くなったと伝えられる三光坊満広の流れを汲む越前出目でめ家、近江井関家、大野出目家の三家が桃山時代に成立し、これらが江戸時代まで続く世襲面打ち家となった。後に、越前出目家から児玉家と弟子出目家が派生した[24]

  • 越前出目家・江戸出目家[25]
    [越前出目家初代]二郎左衛門満照みつてる - [2代]則満のりみつ - [3代]古源助秀満ひでみつ - [江戸出目家初代]古源休満永みつなが - [2代]元休満茂みつしげ - [3代]元休満総みつふさ - [4代]元休満真 - [5代]満志みつゆき - [6代]元休満光みつてる - [7代]源助満守みつもり
  • 近江井関家
    [初代]井関上総守親信ちかのぶ - 大光坊幸賢だいこうぼうこうけん
    [2代]次郎左衛門親政ちかまさ
    [3代]備中守家久いえひさ - [4代、江戸井関家]河内大掾源家重いえしげ - [弟子]大宮大和真盛さねもり
  • 大野出目家
    [初代]是閑吉満ぜかんよしみつ - [2代]友閑満庸ゆうかんみつやす - [3代]助左衛門 - [4代]洞白満喬とうはくみつたか - [5代]洞水満矩とうすいみつのり - [6代]甫閑満猶ほかんみつなお - [7代]友永庸久ゆうすいやすひさ - [8代]長雲庸吉ちょううんやすよし - [9代]洞雲庸隆とううんやすたか - [10代]助左衛門 - [11代]助太郎 - [12代]杢之進 - [13代]丘作
  • 児玉家
    [江戸出目家初代満永の養子]近江満昌みつまさ - [2代]長右衛門朋満ともみつ - [3代]長右衛門能満よしみつ
  • 弟子出目家
    [江戸出目家初代満永の婿]古元利栄満こげんりよしみつ - [2代]元利寿満かずみつ - [3代]元利右満すけみつ

江戸時代後期に喜多流九世宗家・喜多七太夫古能が著した『仮面譜』では、古来からの作品から新しいものまでを格付けして、十作、六作、古作、中作、中作以降というように整理している[26]

近現代

明治維新後、幕府や藩の庇護を失った能楽界は衰微し、世襲面打ち家も絶えた[27]。他方で、日本国外では美術品として珍重された[28]。しかし、木材は大気を吸湿する為、温・湿度の差により、彩色の剥落が起こりやすい[29]

現代[いつ?]に制作された面は、「新面」と呼ばれ価値が低いとされてきたが、近年[いつ?]では、正当に評価され、舞台に使用されるようになった。その背景には、古作の面を度々舞台で使用することが、保護や保存の観点から控えられるようになったという事情もある[30]。創作面は、ほとんど使用されることがないが、新作能が上演される場合には制作・使用されることがあり、一例として、1943年(昭和18年)の新作能『世阿弥』には、面打師北澤耕雲制作の「世阿弥」の面が用いられた[31]

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面打ち

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能面の制作工程
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彩色前の能面

能面は、ヒノキでできているものが一般的であり、キリでできているものもある。ヒノキは木目が比較的そろっていて彫りやすく、寿命も長いからだと考えられる[32]。木曽檜が山で切り出され川で流されている間にヤニが抜けたものが最良であると言われるが、現在では入手が困難である[33]

能面を制作することを「打つ」という[34]

現在の能面の制作(面打ち)は、古面の模作面(写し)を作ることが主流である。写しを制作する場合、まず本面を傷つけないよう慎重に型紙を作った上[注釈 1]、大まかには次のような工程を経るとされる[35]

  1. 木取り
    よく乾いたヒノキを、木槌で割る。木の中心側(木裏)が表側に、樹皮側(木表)が面裏になるような「板目」で木取りをする。これは、ヤニが表面に滲み出ることがあっても能面に損傷を与えないためであるという[36]。もっとも、これに対し疑問を呈し、年輪に垂直に木取りをする「柾目」もあり得、古い面では板目も柾目もあり様々であるという意見もある[37]
  2. 荒彫り
    面の輪郭以外の部分をで切り取り、表面の輪郭を削りながら整える。
  3. 中彫り
    徐々に細かい顔形を彫り進める。また、面裏を大まかに削る。型紙を当てながら、凹凸を削り出す。
  4. 木地の仕上げ
    彫刻刀で目鼻口の形を整え、目鼻口の穴を開け、紐穴を開ける。また、面裏の彫刻を整える。
  5. 面裏の漆塗り
    面裏には、を塗る場合が多い。これにより木地に耐水性・耐久性を持たせるが、漆を乾かすには、温度・湿度を微妙に調節する必要があり、時間もかかる[38]
  6. 彩色さいしき
    胡粉牡蠣の貝殻から作られていることが多い)とで下地塗りをする。下地の表面は、磨く場合と、磨かない場合がある。古い面では、ヤニ止めのため、木地上に和紙を貼り、その上から胡粉下地を塗る紙彩色という手法がとられていることがある[39]
    胡粉下地の上に、顔料を入れて色を調整した胡粉上地を塗り、肌合いを出す。その上に上塗りを施すこともある。落ち着いた色調を出すため、すすを用いた液で古色を施す[40]
    口には朱、目には墨を入れ、眉、髪、毛描などの着色を行う。
  7. 金具・植毛
    面によっては、目や歯に、鍛金鍍金によって成形した金具を入れる。また、翁面・尉面では、毛を木地に植え付けて髪・眉・髭などを作る。毛は、馬のたてがみや尾の白毛を用いる。尉面では髪を結う[41]

面打師の北澤三次郎は、「木の中には完成された面の姿を見ていて、それをいかに引き出すか、いかに余分なものを削り払っていくかということが実際の作業である。技術は表現しようとすることの手段であって、心理や思考が優先する。」と述べている[42]

舞台での使用

要約
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面と直面

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観世流24世宗家観世左近の『安宅』。現在能であり、シテ(武蔵坊弁慶)をはじめとする全員が直面である[43]

能楽師は、能面をおもてと言い慣わし、面を着用することを「面をかける」「つける」と言い、「かぶる」とは言わない。能では、神仏、天人、仙人、草木の精、鬼神、亡霊、霊獣など、超人間的な存在を演ずる際には面を使用する。超人間的な存在が仮に人間として現れる場合も面をかける場合が多い。また、老人と女性の役にも面が用いられる。一方、現実の壮年の男性の役には、原則として面を用いず、演者が素顔で演じるが、これを直面ひためんと言う。ただし、壮年の男性であっても『自然居士』『花月』『俊寛』『景清』『弱法師』などのシテには面を用いることとなっている。ワキ方は、必ず生きた男性の役を演じるため、面をかけることはない。直面の場合は、顔の表情を作ることは禁じられている[44]

子方は、面をかけない。室町時代から大きさがほぼ決まっている能面は、子供には大きすぎることから、思春期を迎え体が能面に合うようになる頃、初めて能面をかける。これを「初面はつおもて」という[45]

なお、狂言は、基本的に素顔で演じられるが、特殊な役柄では狂言面を用いる[46]

面の選択

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能『隅田川』。流儀により「曲見」または「深井」を用いる[47]

同じ曲目・役柄であっても、流儀によって面の使用に対する好みがある。若い女性面では、金春流喜多流は「小面こおもて」を最も尊重するのに対し、宝生流は「節木増ふしきぞう」、観世流は「若女」、金剛流は「孫次郎」を流儀の代表面としている[48]。また、同じ小面でも、金春流は無垢な表情のものを好むが、金剛流はわずかに官能的な表情のもの、観世流は肉感的な表情のものを好むといった違いも生じ得る。同じ範疇の面であっても、「くらい」の差があり、演者の経験や技量によって、位の高い面を着ける資格を有するかが決せられる。役柄に対する解釈や趣向によっても、どのような位の面を用いるかが変わる[49]

同じ観世流の『熊野』や『松風』でも、面には「若女」「深井」「小面」といった選択肢があるが、「若女」や「小面」を着ける場合、装束は紅を中心とした華やかな紅入いろいりのものになるのに対し、「深井」を着ける場合には、装束は地味な色調の紅無いろなしとなるなど、面の選択が、装束だけでなく、演出や表現の選択にもつながるため、重要な要素となる[50]

なお、上述の若い女性面のように、いくつかの面種の間で一定の互換性があり、その範囲内で面を選択する場合がある一方、天狗物の能は「大癋見」がなければ上演できないとか、大口をはく脇能の老人には「小尉(小牛尉)」が必要であり「阿瘤尉」で代替することはできない、といった決まりごともある[51]

小書などの演出によっても、面の選択が変わってくる[52]

面をかける作法

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野口兼資(宝生流)の『鵜飼』前シテ
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能舞台。左方の橋掛かりの奥が揚幕であり、その奥に鏡の間がある。

能楽師は、面を極めて丁重に取り扱う。

能面を能の道具と見る人がある。[中略]だが、私ども能楽師は、能面を、道具とは思っていない。能面を顔につける時にも、両手でいただくのが作法であるし、能面の入っている面箱は、直接、畳におくようなことはしないで、机や棚に載せるなど、その取り扱いには、細心の注意を払っている。他の能道具や能装束とは、大変な違いなのである。金春信高(金春流第79世宗家)、「能面と生きる」能面の本質[53]

能楽師は、楽屋で装束を着けると、揚幕あげまくの奥にある鏡のという空間で面をかける。シテのみが床几について面をかけることが許され、ツレは、鏡の前にひざまずいて面をかける。面の選択も、ツレは格を抑えた控えめなものを選ぶ[54]。能面の両耳部分にある紐穴には飾り紐が通され、その紐の色も面によって決まっている。能楽師は紐穴部分のみを指で触れて面に向き合い、両手で押しいただき、後見ほか数人が角度や位置を厳しく点検しながら、紐を均等に張って面をかける。流儀により、面と顔の間には、柔らかい紙に巻かれた(あるいは布袋に入れられた)詰め物の綿が当てられ、しっかり固定される[55][注釈 2]

シテは楽屋で装束をつけた後、鏡の間には、開演三十分前には入る。そして、大きな鏡に向かって、葛桶かずらおけ(能楽用の腰かけ)に腰かける。鏡に密着して、白木の八足台はっそくだいがあり、能面がその上に飾られてある。頃を図って、シテはその能面を後見こうけんから受け取り、両手でうやうやしくいただいた後、能面の両眼をじっと見る。これを開眼かいげんのこころという。祈るような気持である。そして、シテが能面を顔につけると、後見が後ろに廻って面の紐を結ぶ。開演の五分前には、ワキ、狂言、囃子方の諸役も鏡の間に入って待機する。金春信高、「能面と生きる」鏡の間の秘密[56]

なお、以上は通常の能の曲の場合であり、『』の場合は、役者が舞台上で面をかけるという特有の作法がある。すなわち、面箱めんばこ持ちが翁面を舞台に運び、千歳の舞の後、翁大夫は舞台上で白式尉の面をかけて舞う。その後、三番叟(三番三)が、最初は直面で舞い(揉之段)、続いて黒式尉の面をかけて舞う(鈴之段)[57]

舞台上の効果

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55世梅若六郎の『安達原 白頭・長糸之伝』前シテ

能楽師にとって、面に生きた表情を与えることは最大の難関である。不意に頭を上げ下げしたり、ぎくしゃくしたりする動きは醜いとされる。特に女面は微妙な「中間表情」を持っているとされ、わずかに面を下に向ける(クモラス)、上に向ける(ラス)などといった扱い方によって、観客から見た効果が変わってくるため、技量が求められる[58]。この「中間表情」という見方は、野上豊一郎が「能面工作の最大特色なる最も日本的な創意」として提唱したものである[59]。激しい表情を持った鬼や天狗の面は、短い登場時間中に用いられるだけなのに対し、女面は、舞台上で長時間つけられ、一つの面で様々な心の動きを表現しなければならないためにこのような工夫が凝らされていると言われる[60]

演者の立場からは、美術工芸品として美しい面と、舞台で生きる面では微妙に違い、近くで見ると素晴らしい面でも、観客席まで力が届かない場合もあると指摘されている[61]

面をかけると、視界がさえぎられ、呼吸も不自由になるため、演者には身体と精神の厳しい修行が求められる[62]。面の両目の間隔は人の目よりも狭く、右か左かの利き目に合わせて、片目で見ることとなる。特に見にくいのは女面、中でも目鼻口が中央に寄っている小面であると言われる。自分が舞台の上のどこにいるかを知るにも、目と鼻孔の小さな穴を通したわずかな視界から覗き見るほかなく、舞台の四方の柱や、囃子方の位置を見て、方向や歩数を計る。扇を開くような簡単な型でさえ、目で見ながら行うことはできず、長い袖の下から手探りで行わなければならない。「弱法師」のような盲目の役柄に使う面の目は、通常の小さな穴ではなく、下向きの切れ目であるため、むしろ演者にとっては視界が広くなる[63]。能ですり足をするようになったのも、もともと、視界が限られ、体重のバランスを保つことが難しいという事情によると考えられる[64]

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種類

要約
視点

能面には、完成された類型が約60種類あるとされ、約60種類をそろえれば、約240曲の現行曲のほとんどを上演することができると言われる[65]。ただ、細かく挙げると、現在知られる面の名称は約300、面種は約250に及ぶとされる[66]。その中には、同名異種または異名同種の面がある。また、一般に異名異種とされる面であっても、「深井」と「曲見」のように、顔立ちの点からは区別をすることができず、毛描が流れ出す位置によって区別しているにすぎないという場合もあり、面種の区別を立てる基準は必ずしも明確ではない[67]

能面の分類には様々なものがあり、以下は、用いられる役柄と形態上の特徴による分類の一例である[注釈 3]

さらに見る 老体面(尉面), 女体面(女面) ...

なお、人間でも異類でもない神や、物の精などには、特別の類型の面がなく、人相面または異相面のいずれかを用いる[68]

主な面種(能面・翁面)の例

さらに見る グループ, 名称 ...
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脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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