トップQs
タイムライン
チャット
視点
脇裕司
ウィキペディアから
Remove ads
脇 裕司(わき ゆうじ、1949年8月23日 - )は、かつて日本サッカーリーグに所属した日本のサッカー選手。現役時代のポジションはDF(攻撃的リベロ)。
来歴
修道高校を卒業後、早稲田大学法学部へ進学。卒業後、JSL1部の藤和不動産サッカー部に入部。フジタ工業サッカー部となって2年目の1977年度は、日本リーグと天皇杯の2冠制覇(ともに初優勝)にキャプテンとして大きく貢献した。監督の石井義信の下、MFからリベロに起用されてJSL史上最高の得点力(1試合平均3.56点)の一翼を担い[1]、同年のJSLベストイレブンに選出されている[2]。しかし、チーム黄金期の1978年限りで現役を引退した。
引退後はフジタ工業で勤務する。1987年、コダック・オールスターサッカーの前座では、JSL・OBチームの一員として出場し、明石家さんま、木梨憲武、清水圭らのザ・ミイラと対戦している。
1993年、フジタサッカークラブがJリーグ正会員加盟。Jリーグ開幕より1年遅れてJリーグ昇格が決定した。チーム名をベルマーレ平塚に改称し、社名を株式会社ベルマーレ平塚に変更。その際、元サッカー選手としてベルマーレ平塚へ出向となる。
1998年11月、フジタ工業が平塚からの撤退を発表したことで、脇も出向が終わることとなる。しかしながら、その後も代表で海外遠征や、静岡県代表等でサッカーを続けている。
Remove ads
所属クラブ
- 修道高等学校
- 藤和不動産/フジタ工業サッカー部(1972年 - 1978年)
個人成績
脚注
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads