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1972年のJSL
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1972年のJSL(第8回日本サッカーリーグ1部および第1回日本サッカーリーグ2部)は、1部が1972年4月9日から11月26日まで、2部が4月9日から12月3日まで行われた。
このシーズンから実力別の1部2部制に移行し、JSL2部がスタートした。優勝は1部が日立製作所サッカー部、2部がトヨタ自動車工業サッカー部であった。
JSL1部
要約
視点
前年優勝のヤンマーと日立が優勝を争い、両チームとも勝ち点19(得失点差はヤンマーが+19、日立が+17でヤンマーが上回る)で最終節を迎えた[2]。最終節、日立は東京で行われた新日鐵戦に3-0で勝利した[2]。同時刻に神戸で行われたヤンマー対三菱重工の試合では、前半2分、4分と立て続けに三菱がゴールが決めた[2]。ヤンマーは同点には追いついたものの逆転できず2-2の引き分けに終わり、日立の初優勝が決まった[2]。低迷していた日立は1970年に元日本代表監督の高橋英辰を監督に迎え、豊富な運動量を活かす組織的なサッカーで「走る日立」の異名を取った[3][2]。
この年JSLに昇格した藤和は、後期からブラジルのコリンチャンスでプレーしていたセルジオ越後を獲得した[2]。JSLでは外国籍選手はこれまでにもいたが、元プロ選手の加入はこれが初めてだった[2]。
翌年から1部のチーム数が2つ増えて10となるため、入れ替え戦は行われなかった[2]。
大会概要
参加クラブ
成績
年間順位
優勝 |
得点ランキング
アシストランキング
- 翌シーズンからのチーム数増加の為、入れ替え戦は未開催。
- トヨタ自工(JSL2部優勝)と田辺製薬(JSL2部準優勝)がJSL1部へ自動昇格。
表彰
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JSL2部
JSL2部大会概要
JSL2部参加クラブ
JSL2部成績
JSL2部年間順位
自動昇格 |
- 翌シーズンからのJSL1部のチーム数増加の為、入れ替え戦は未開催。
- 永大産業サッカー部(全国社会人サッカー選手権大会優勝)と帝人松山サッカー部(全国社会人サッカー選手権大会準優勝)がJSL2部へ自動昇格。
JSL2部表彰
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出典
参考文献
関連項目
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