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茨田弓束

奈良時代中期の女官 ウィキペディアから

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茨田 弓束(まんだ の ゆつか、生没年不詳)は、奈良時代中期の女官。名は弓束女とも記される。は無姓のち宿禰位階正五位上

記録

聖武朝天平17年(745年)正月、無位から従五位下に昇叙したとあるのが、史料における初見。この時「宿禰」とあるが、後述の記述で宿禰姓を授けられたとあるので、無姓であったものと思われる[1]

天平19年(747年)6月、一族の従八位下茨田枚野とともに宿禰姓を授けられる[2]

孝謙朝天平勝宝元年(749年)10月、天皇は河内国智識寺行幸し、弓束の宅を行宮とした[3]。その行幸の折に、弓束は正五位上を与えられた[4]

その後の動静は不明である。

官歴

続日本紀』による。

脚注

参考文献

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