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茶屋町 (岡山県)

日本の岡山県都窪郡にあった町 ウィキペディアから

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茶屋町(ちゃやちょう)は、かつて岡山県都窪郡にあったである。1972年昭和47年)5月1日倉敷市に編入され廃止された。現在は同市の茶屋町地区となっている。ここでは、町制施行前の名称である江島村(えじまそん)についても述べる。

概要 ちゃやちょう 茶屋町, 廃止日 ...
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歴史

要約
視点

行政の変遷

明治になり、1870年明治3年)11月に早島沖新田村・帯江沖新田村はそれぞれ早島新田村・帯江新田村に改称。また宮崎村(現在の早島町早島の一部)枝村であった宮崎割新田村は宮崎村に併合された。1875年(明治8年)に宮崎村のうちの旧宮崎割新田分が早島新田に併合される。1889年(明治22年)には早島新田・帯江新田両村が合併し、江島村(えしまそん)を新設。名称は両村名から一文字ずつ合わせたものである。そして1896年(明治29年)に町制を施行し、その際に茶屋町(ちゃやちょう)に改称する。その後、1947年(昭和22年)1月に興除村より旧鶴崎村域を茶屋町へ移管。1951年(昭和26年)3月に豊洲村の高須賀の内の旧添新田分(旧帯江領)が、豊洲村の倉敷市編入の絡みで、当地へ移管した。これにより現在の茶屋町の区域が確定した[5][6][7]

1972年(昭和47年)5月1日に倉敷市(新)に編入合併し、同茶屋町支所の管轄下となる。なお、合併後は当地の読み方は「ちゃやまち」に変更された。

年表

  • 1704年(宝永元年)- 早島戸川氏戸川安貞が早島沖新田、帯江戸川氏の戸川安広が帯江沖新田をそれぞれ開発に着手する(1707年完成)。
  • 1731年(享保16年)- 綿花やい草の栽培、畳表や小倉織の生産が始まる。
  • 1850年(嘉永3年)- 東高梁川の安江・四十瀬の土手が決壊、大洪水が起きる。
  • 1870年(明治2年)- 早島新田村、帯江新田村になる。
  • 1878年(明治11年)- 磯崎眠亀錦莞莚を発明。
  • 1889年(明治22年)6月1日 - 町村制が施行され早島新田村と帯江新田村が合併し、両村よりそれぞれ一字を取って江島村になる。
  • 1890年(明治23年)- 桜橋付近に芝居小屋「栄座」ができる(後に映画館になり、昭和30年閉館)。
  • 1896年(明治29年)2月26日 - 江島村が町制施行し、都宇郡茶屋町へ移行。
  • 1900年(明治33年)4月1日 - 都宇郡が窪屋郡と合併し、都窪郡となる。
  • 1910年(明治43年)6月12日 - 宇野線茶屋町駅開業。
  • 1913年(大正2年)11月11日 - 下津井軽便鉄道が茶屋町駅に乗り入れる。
  • 1931年(昭和6年)- 倉敷を結ぶ県道(倉敷飽浦線)が開通し、茶屋町橋が架けられる。
  • 1947年(昭和22年)10月18日 - 児島郡興除村大字西疇のうち字鶴崎の区域[注釈 1]を当町に編入[8]
  • 1951年(昭和26年)3月 - 都窪郡豊洲村大字高須賀のうち汐入川以東の添新田の区域[注釈 2]を当町に編入[9]
  • 1972年(昭和47年)
    • 4月1日 - 下津井電鉄線のうち茶屋町 - 児島間が廃止。
    • 5月1日 - 茶屋町が倉敷市に編入合併される。
  • 1973年(昭和48年)5月 - 現在の茶屋町支所が竣工。旧町役場は解体される。
  • 1988年(昭和63年)3月20日 - 本四備讃線茶屋町〜児島間開業。
  • 2006年(平成18年)- 干拓300周年記念行事が行われ、駅前の広場に記念碑が建てられる。茶屋町商工会が早島・庄と合併し「つくぼ商工会」になる。
  • 2007年(平成19年)3月5日 - 郵便番号が709-11xxから710-11xxに変更される。
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行政

歴代首長

さらに見る 代, 氏名 ...

町議会議長・副議長

昭和22年4月の地方自治法施行以降の茶屋町町議会議長を記す。

議長
さらに見る 氏名, 就任年月日 ...
副議長
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脚注

関連項目

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