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荒尾善次
日本の戦国時代~安土桃山時代の武将。織田氏の家臣。尾張大野城主佐治為貞の子で、尾張木田城主荒尾空善婿養子。官位は美作守 ウィキペディアから
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荒尾 善次(あらお よしつぐ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。織田氏の家臣。姫路藩初代藩主となった池田輝政の外祖父。
略歴
永正5年(1508年)、尾張国知多郡大野城主・佐治為貞の子として誕生。
今川義元の尾張侵攻により戦死した同知多郡木田城主・荒尾小太郎空善の名跡を継承し荒尾姓を名乗ったという。織田信長に仕えて荒尾村[3]を領し、今川勢と対峙して木田城を守った。しかし弘治元年(1555年)に始まった義元の尾張進攻によって、同3年には知多の諸勢の多くが今川方に投降したと言われており[4]、永禄3年(1560年)桶狭間の戦いの際には、善次も同様の立場に置かれていたと考えられる[5]。そのため桶狭間の戦い以後は隠居した。
系譜
- 父:佐治為貞
- 母:不詳
- 養父:荒尾空善
- 正室:荒尾空善娘
- 後室:水野信元娘
- 生母不明の子女
脚注
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