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荒川邦蔵

明治時代の官僚、政治家 ウィキペディアから

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荒川 邦蔵(あらかわ くにぞう、嘉永5年4月18日1852年6月5日[1] - 明治36年(1903年10月11日)は、明治時代官僚政治家内務省などで務め、福井県知事も務めた。

来歴・人物

長州藩領の長門国大津郡向津具村(現・山口県長門市)出身[1]。諸官を経て、1892年11月16日牧野伸顕の後をついで、内務省衛生局長から福井県知事に任ぜられた[2]。荒川は県知事として、濃尾地震の被害による道路などの修復に県から全額支出させた[3]。また、県内の女子の就学を奨励した[4]1897年4月6日まで務めた。

1898年、内務省県治局長に任ぜられるがまもなく辞任。その後帝国党の組織に尽力した。1903年10月11日に病死し、同日にを一級進めて正四位に叙される。

栄典

位階
勲章等

著書

  • 1877年5月 『万国公法』(訳書、オーガスト・ウィルヘルム・ヘフター・原著)
  • 1879年7月 『類聚孛国警察法』(寺田祐之・共訳)
  • 1880年7月 『孛国地方行政法類集』(訳書)
  • 1882年7月 『国理論』(訳書、ローレンツ・フォン・シュタイン・原著)
  • 1882年 『孛漏生国法論』(木下周一・共訳、ヘルマン・シュルツェ=デーリチュ・原著)
  • 1883年5月 『独逸学ノ利害及国家ニ対スルノ得失』(ヘルマン・ロエスレル・述)
  • 1884年5月 『孛国地方自治一班. 第1,2』
  • 1886年5月 『孛国地方制度一斑』(訳書、カール・フライヘル・フォン・シュテンゲル・原著)
  • 1888年5月 『孛国地方制度一斑』(編)

脚注

参考文献

関連項目

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