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荻洲立兵

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荻洲立兵
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荻洲 立兵(おぎす りっぺい、1884年明治17年〉1月24日[1][2] - 1949年昭和24年〉12月22日[1][2])は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。旧姓:伊藤。

概要 荻洲 立兵, 生誕 ...

経歴

愛知県出身[1][2][3]。伊藤松左衛門の四男として生まれ、陸軍二等薬剤官・荻洲郁次郎の養子となる[1]愛知一中名古屋陸軍地方幼年学校中央幼年学校を経て、1905年3月、陸軍士官学校(17期)を卒業。翌月、歩兵少尉に任官し歩兵第6連隊補充隊付となる[1][4]参謀本部付勤務などを経て、1916年11月、陸軍大学校(28期)を卒業した[1][3]

歩兵第6連隊中隊長、陸軍歩兵学校教官、スイス駐在、ドイツ駐在、陸大教官、近衛歩兵第4連隊付、歩兵第44連隊長、第11師団司令部付(支那政府応聘、北京陸大教官)、第1師団司令部付、留守第9師団参謀長、第1師団参謀長などを歴任し、1933年10月、陸軍少将に進級[1][3]

歩兵第9旅団長、台湾軍参謀長などを歴任し、1937年3月、陸軍中将に昇進し第2師団司令部付となる[1][2][3]留守第2師団長、第13師団長を経て、初代第6軍司令官となりノモンハン事件に出動[1][2][3]。停戦後に参謀本部付となり、1940年1月、予備役に編入された[1][2][3]1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]

終戦後は東京・渋谷の道玄坂百貨街で運動用品店を営む[6][7]。この頃のエピソードとして、漫画家の水木しげるが魚屋をはじめる際に、「突撃あるのみ」と叱咤激励したというものがある[8]。1949年12月22日死去。享年65。墓所は青山霊園(1イ5-20)。

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親族

栄典

勲章

脚注

参考文献

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