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菅沼定賞
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菅沼 定賞(すがぬま さだよし)は、江戸時代前期から中期にかけての旗本。
経歴
菅沼定芳の五男として生まれる。寛永18年(1641年)10月3日、徳川家綱附属の小姓となる。寛永20年(1643年)3月26日、父の遺領から丹波国の1100石を分与される。正保4年(1647年)に兄・定昭が嗣子の無いまま亡くなって改易された後、慶安元年(1648年)閏1月20日に先祖の勲功から兄・定実と共に三河国で1万石を与えられ、定賞はそのうち設楽郡の3000石を分与され、それまでの所領は収公される。その後、中奥勤めとなり、慶安4年(1651年)8月16日に従五位下越中守に叙任される。後に職を辞して寄合に列する。明暦2年(1656年)、所領を設楽郡から八名郡に移される。元禄13年(1700年)1月12日、68歳で死去。
系譜
参考文献
- 『寛政重脩諸家譜』第2輯,國民圖書,1923. 国立国会図書館デジタルコレクション 341コマ目 https://dl.ndl.go.jp/pid/1082719/1/341 (参照 2024-06-28)
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