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小笠原長矩
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小笠原 長矩(おがさわら ながのり)は、三河吉田藩の第2代藩主。忠知系小笠原家2代。
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生涯
元和10年(1624年)1月24日、初代藩主・小笠原忠知の長男として江戸で生まれる。寛文3年(1663年)、父の死去により家督を継いで第2代藩主となる。このとき、弟の長定に3,000石、長秋に2,000石を分与したため、自らは4万石を領することになった。なお、家督相続と同時に奏者番に任じられた。
寛文6年(1666年)7月19日に寺社奉行に任じられ、延宝6年(1678年)2月6日まで務めた。藩政では新田開発に尽力している。また、龍拈寺・悟真寺とともに神宮寺を吉田三ヶ寺に定めた。延宝6年(1678年)2月8日に死去。享年55。跡を長男の長祐が継いだ。
系譜
父母
- 小笠原忠知(父)
- 多賀光定の娘(母)
正室
- 菅沼定芳の娘
子女
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