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薛播

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薛 播(せつ は、生年不詳 - 787年)は、唐代官僚本貫河中府宝鼎県[1][2]

経歴

什邡県令の薛元暉の子として生まれた。早くして父を失い、伯父の薛元曖の妻の林氏(林洋の妹)に経書史書を学び、文章を作るのを得意とした。天宝年間、進士に及第し、校書郎に任じられた。万年県丞・武功県令・殿中侍御史・刑部員外郎・万年県令を歴任した。温厚聡明で、人づきあいをよくしたので、李棲筠常袞崔祐甫らがかれを引きたてて抜擢した。崔祐甫が輔政にあたると、薛播は中書舎人に任用された。汝州刺史として出向し、公務中の事件により泉州刺史に左遷された。ほどなく晋州刺史に任じられた。河南尹をつとめた。入朝して尚書左丞となり、礼部侍郎に転じた。貞元3年(787年)、病のため死去した。礼部尚書の位を追贈された[1][2]

子に薛公達があった[2]

脚注

伝記資料

参考文献

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