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晋州

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晋州(しんしゅう、: 晉州)は、中国にかつて存在した南北朝時代から北宋にかけて、現在の山西省臨汾市一帯に設置された。

魏晋南北朝時代

北魏孝昌年間に設置された唐州を前身とする。528年建義元年)に晋州と改称された。晋州は平陽郡北絳郡永安郡北五城郡定陽郡敷城郡河西郡五城郡西河郡冀氏郡南絳郡義寧郡の12郡と31県を管轄した[1]

隋代

初には晋州は6郡7県を管轄した。607年大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、晋州は臨汾郡と改称され、下部に7県を管轄した[2]618年義寧2年)、臨汾郡は平陽郡と改称された。隋代の行政区分に関しては下表を参照。

さらに見る 隋代の行政区画変遷, 区分 ...

唐代以降

618年(武徳元年)、により平陽郡は晋州と改められた。742年天宝元年)、晋州は平陽郡と改称された。758年乾元元年)、平陽郡は晋州の称にもどされた。晋州は河東道に属し、臨汾・洪洞神山・岳陽・霍邑・趙城・汾西・冀氏の8県を管轄した[3]

1116年政和6年)、北宋により晋州は平陽府に昇格した[4]

脚注

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