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藤原宗光

平安時代後期の貴族。藤原有信の次男。式、策、蔵、大学頭、式部大輔、従四位上。子に資経(資綱) ウィキペディアから

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藤原 宗光(ふじわら の むねみつ、延久2年(1070年) - 康治2年11月22日1143年12月29日) )は、平安時代後期の貴族藤原北家真夏流右中弁藤原有信の次男。官位従四位上式部大輔

経歴

白河院政期にて、文章生を経て承徳2年(1098年対策に及第。越後掾図書権助式部丞六位蔵人を経て、長治3年(1106年巡爵により従五位下に叙せられる。

のち、尾張権守を務めるが、元永2年(1119年大内記として京官に復すと、阿波介木工権頭を兼帯した。

鳥羽院政期天承2年(1132年正五位下右衛門権佐に叙任される。その後、保延2年(1136年従四位下永治2年(1142年)従四位上と昇進し、この間に式部大輔に任ぜられた。

康治2年(1143年)11月22日卒去享年74。最終官位は式部大輔従四位上。

官歴

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系譜

尊卑分脈』による。

  • 父:藤原有信
  • 母:藤原実政の娘
  • 生母不詳の子女
    • 男子:藤原資経
    • 男子:藤原経尹 - 藤原親経の養子
    • 男子:藤原宣経
    • 男子:静空
    • 男子:宗慶

末裔

尊卑分脈』や実悟の「日野一流系図」では、宗光-文章博士宗業-木工権頭業茂-大膳大夫遠業-宮内少輔光遠-大膳大夫光綱と続き、光綱の子孫は三淵氏を名乗ったとされる[10]

脚注

参考文献

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