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藤原豊並
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藤原 豊並(ふじわら の とよなみ)は、平安時代初期の官人。藤原京家、豊前介・藤原石雄または陰陽頭・藤原並藤の子。官位は正六位上・遣唐判官。
経歴
承和5年(838年)7月に遣唐使の第2船の判官として唐へ出発し[1]、8月に唐へ到着。12月には長安まで入京する。翌承和6年(839年)閏1月に遣唐使一行は長安を出発し、2月に楚州に至るが、豊並はその途上で病に伏し卒去した[2]。
遣唐使一行の帰国後、同年9月に遣唐大使・藤原常嗣以下に昇叙がなされた際、豊並に対しては詔により哀愍が述べられ、正六位上から従五位上への贈位がなされている[3]。
系譜
『尊卑分脈』による。
脚注
出典
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