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藤沢飛行場
かつて日本の神奈川県藤沢市にあった飛行場 ウィキペディアから
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藤沢飛行場(ふじさわひこうじょう)とは神奈川県藤沢市に存在した飛行場。1953年(昭和28年)- 1964年(昭和39年)の正式名称は東洋航空藤沢飛行場。
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概要
太平洋戦争当時、海軍の飛行場として建設された。湘南海岸の江の島の西側から引地川を北上した東側の相模野台地丘陵上南端部にあった。さらに北上すると厚木海軍飛行場がある。滑走路は、南北方向で離着陸の方向は北から南向きだった。
終戦後は民間飛行場となり、廃止後の跡地は荏原製作所の藤沢事業所の大部分・荏原湘南スポーツセンターの敷地の一部になった[1]。
歴史
海軍飛行場時代
- 1943年(昭和18年)10月24日 - 藤沢カントリー倶楽部を閉鎖し、同地周辺が、横須賀海軍航空隊の基地となる。
- 1944年(昭和19年)6月1日 - 藤沢海軍航空隊が置かれる。クラブハウス(グリーンハウス)は司令部として利用され、開隊当初は兵舎が完成していなかったため、クラブハウスが兵舎と調理場も兼ねていた。
- 1945年(昭和20年)8月25日 - 藤沢海軍航空隊が解隊される。
- 1945年(昭和20年)9月2日 - 連合国軍550人が、本飛行場に進駐。
- 1947年(昭和22年) - 通信学校跡に藤沢商業高等学校(現・藤沢翔陵高等学校)が移転。
- 1947年(昭和22年) - 1950年(昭和25年) - 航空隊施設の一部が、引揚者用住宅に転用される。
- 1948年(昭和23年) - 一部が、藤沢市営競技場となる。
- 1952年(昭和27年)6月 - 東洋航空工業設立。
民間飛行場時代
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藤沢飛行場を舞台とした作品
脚注
参考文献
外部リンク
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