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行速丸
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行速丸(こうそくまる/かうそくまる[1])は、日本海軍の運送船[4] (兵部省所管の運輸船[3])。
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船歴
元は清上海[1] [注釈 1] で万延元年(1860年)に竣工した木造外輪汽船でアメリカ汽船フィンセン[1]、またはフイセン[5] (Fei Seen)[要出典]。
慶応2年8月(1866年9月頃)に江戸幕府が長崎で(ボートウエンから75,000ドルで[5])購入し行速丸と命名された[2][5]。
明治3年4月(1870年5月)に静岡藩から献納の伺いが出され[10]、 同年5月(新暦6月頃)に許可の返答があった[11]。 清水港にいた[10] 行速丸は6月25日(新暦7月23日)品海に到着[12]、 7月5日(新暦8月1日)に兵部省が受領、同省の所管となった[3]。 『海軍省報告書』では明治3年4月(1870年5月頃)に静岡藩から献上されたとしている[13]。
9月8日(新暦10月2日)、行速丸は暴風雨に襲われ、錨を4つ入れ、機関を運転したが錨鎖が切れて第三台場の浅瀬に乗り上げた[14]。 乗員にケガは無かったが[14]、 端舟1隻が流失、右舷の部屋が5箇所破られて室内の品が流失、船体が一部損傷などの被害があった[15]。 引き下ろし作業は10月4日(新暦10月28日)から始められ、11月30日(1871年1月20日)午後3時50分に成功した[16]。
翌明治4年5月の検査では破損や腐食の箇所があり、約8,000両で修理を加えても艦の寿命は後5年程度と見積もられた[17]。 同年7月22日(1871年9月6日)[注釈 2]、東京丸購入費用(60,000円+飛龍丸飛隼丸行速丸の3隻で80,000円相当[18])の一部としてイギリス人(バッチャル[1])に交付された[6]
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船長
- 関川伴次郎:明治3年9月3日(1870年9月27日)[19] -
脚注
参考文献
関連項目
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