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衣笠景延
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衣笠 景延(きぬがさ かげのぶ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。福岡藩士。端谷城主。黒田二十四騎の一人。
略歴
小寺氏から与力として黒田氏に移り、黒田職隆に小姓として仕えた。天正5年(1577年)の英賀合戦の際に包囲された栗山利安を救い、旧主小寺家への使者を務める。小寺政職の死後、黒田孝高の命により遺児・氏職を探し出し、播磨国に連れ帰った。
天正15年(1587年)の豊前一揆では、姫隈城の日熊直次を降した。文禄・慶長の役では後藤基次と先鋒についた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは松山城を守備。慶長6年(1601年)、黒田氏が筑前国に入国した後に、中老並みの3,000石を拝領。
寛永8年(1631年)3月18日、死去。享年85(79歳とも[1])。
智謀、歌道に秀でた。
脚注
出典
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