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西村真太郎
日本の実業家、政治家 ウィキペディアから
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西村 真太郎(西村 眞太郎[1][2]、にしむら しんたろう[2]、1859年12月12日(安政6年11月19日)[1] - 1922年(大正11年)9月13日[3])は、日本の実業家、政治家。衆議院議員[2][4]。族籍は兵庫県平民[1][4]。

経歴
播磨国加東郡(後の兵庫県加東郡下東条村[5]、現小野市)生まれ。西村重太郎の長男[1]。家は代々農業を営む[5]。漢学を修める[1][2][3]。
加東郡農事会議員、同議長、戸長、郡徴兵参事員、同学務委員、兵庫県会議員となった[2][3]。また、播磨鉄道取締役、加東郡米穀取引所理事長、関西競馬倶楽部監事、社銀行、大阪四ツ橋銀行各頭取、西丹貯蓄銀行取締役、兵庫県農工銀行、台湾銀行各監査役などを務めた[2][3]。
1894年3月、第3回衆議院議員総選挙において兵庫県第六区から出馬し当選[3]。その後、第10回総選挙まで連続8回の当選を果たした[3]。憲政本党に属した[2][4]。
1909年、日本製糖汚職事件で検挙され、同年7月3日に、東京地方裁判所第二刑事部において重禁固10ヶ月の有罪の判決が言い渡され[6]、衆議院議員を退職[7]。その後、判決を不服として控訴、上告を行ったが、同年12月17日に大審院で判決が言い渡され、上告棄却となり、有罪が確定した[8]。これにより勲四等を褫奪された[9]。
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家族
- 西村家
脚注
参考文献
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