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見前館
岩手県盛岡市にあった日本の城 ウィキペディアから
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見前館(みるまえだて)は、岩手県盛岡市西見前8地割館にあった日本の城。別称は見前城、見舞館。
概要
東を北上川が南流する沖積平野内にあり、平坦だが周囲の沖積低地より1 - 2メートル高くなっている低位段丘上に、東西150メートル・南北250メートルの規模で館跡が所在した。付近に堀田、大館、大手先、搦手などの地名が残っているが、現在、畑や水田になっていて館の地表上での遺構は全く見られない。
1998年(平成10年)5月に個人住宅建築に伴い行われた発掘調査では、地表下40センチメートルまで掘り下げた遺構検出面から中世の掘立柱建物跡5棟と井戸2基、溝1条が検出され、16世紀 - 17世紀初頭の唐津焼皿が1点出土した[1]。
沿革
陸奥国志和郡西見前村に所在し、古くは見舞とかいて「みるまえ」と訓んだという(『都南村史』)。
築城時期は不明であるが、郡主・斯波氏の家臣・見前氏の本拠地で、元亀・天正にはたびたび南部勢と戦火を交え、斯波氏の前線基地であったと伝えられている。天正16年(1588年)、斯波氏滅亡のころには、南部方の日戸氏が見前の館主となっている。
脚注
参考資料
関連項目
外部リンク
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