トップQs
タイムライン
チャット
視点

規子内親王

ウィキペディアから

Remove ads

規子内親王(きしないしんのう)は、村上天皇の第四皇女。母は斎宮女御徽子女王。名は「のりこ」とも読む[1]。無品。

概要 規子内親王, 時代 ...

経歴

天暦3年(949年)に生まれる。康保元年(964年)2月23日、内裏において著裳康保4年(967年)5月、父の村上天皇が崩御。天禄3年(972年)8月28日、源順を判者とする「女四宮歌合」を主催した。

天延3年(975年)2月27日、伊勢斎宮に卜定され、貞元元年(976年)9月21日野宮に入り、貞元2年(977年)9月16日、伊勢に群行した。この時に先例に反して母が伊勢に同行したことが、『源氏物語賢木巻での六条御息所親子のもとになったと言われる。円融天皇の譲位をうけて、永観2年(984年)8月27日退下。翌寛和元年(985年)帰京するが母と程なく死別し、規子内親王も翌寛和2年(986年)5月15日に薨去した。38歳。

脚注

参考文献

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads